2019年、筆者のインタビューに答えるテインダンさん

<ミャンマー>懲役3年の判決受けた日本育ちの映像作家ダンさん(1)

◆恩赦の規模は例年の1割以下で政治犯は含まれず

ミャンマーのミンアウンライン国軍司令官は4月17日、服役中の囚人1577人(同国籍)と外国人42人に恩赦を与えると発表した。例年の10分の1以下と小規模であったうえ、いわゆる政治犯は対象とならなかった。

不当に拘束され懲役3年の実刑判決を受けていた在日ミャンマー人映像作家テインダンさんも釈放されていない。民主派に対して厳しい対応をとった形だ。テインダンさんの友人で、自身もミャンマーで拘束されていた私、北角裕樹がその背景を説明する。

今年の4月17日はビルマ暦の元日で、毎年この日には恩赦が行われるのが通例だ。仏教の教えに従い、悪人であろうとも慈悲をもって釈放し、善政を行っているとアピールすることが目的だ。

昨年は約2万3000人が釈放されたように、大規模な恩赦を期待し、多くの政治犯の家族や友人らがこの日を待った。インセイン刑務所の門の前では炎天下の中、息子が出てくるのを待つ母親らが集まっていたという。

そしてこの思いは打ち砕かれた。対象となる人数が極端に少なかったほか、現地の報道によると政治犯は釈放された人の中に含まれなかった模様だ。

国軍側は国営紙で、恩赦の理由を「人道的見地」としているが、例年に比べ小規模であったことには触れていない。同日発表したドゥワラシラ大統領代行の祝賀メッセージでは、新年を「平和の年」と位置づけ、平和と安定を取り戻すと宣言した。

3月27日の国軍記念日には同司令官は民主化勢力をテロリストと呼び、「交渉はせずに殲滅する」として、妥協しないと強調している。

筆者(右)とともにミャンマー映画に出演した際のテインダンさん。2019年、ミャンマー・バゴー管区。

◆国軍が政治犯を恩赦しなかった理由とは

国軍司令官の強気な発言と裏腹に、国軍は各地で蜂起した民主派の市民で作る国民防衛隊(PDF)や少数民族武装勢力との内戦を制圧できずにいる。苦戦を強いられていることが、今回の恩赦での厳しい対応となった理由の一つと言えるだろう。

当初、平和的なデモをしていた若者らは国軍の弾圧が激しくなると、少数民族武装組織の支配地域に逃亡。その一部は、武装組織の援助のもと軍事訓練をうけて武装蜂起した。一部の少数民族武装勢力も戦闘に加わっている。

北西部チン州、東部のカヤー州やカレン州、ビルマ民族の多いザガイン管区、マグウェ管区など国土の広い範囲で国軍と民主派が衝突。40万人とされる国軍の兵力が分散を強いられる一方、地上戦では地の利を生かした民主派がゲリラ戦を有利に展開している。

従来の少数民族武装勢力の支配地域に加え、クーデター後にはザガイン管区やマグウェ管区で新たに蜂起したPDFが、農村部など広い地域を支配下に置いたとされる。実態は定かではないものの、国土の3分の1から半分は、国軍が掌握できていないとも言われる。

民主派で作る国民統一政府(NUG)のドゥラワシラ大統領代行も4月16日のオンライン演説で「多くの地域を制圧した」として攻勢を強める方針を示している。

地上戦での犠牲を恐れた国軍側は航空戦力による空爆を続けているほか、村人に銃を持たせた民兵「ピューソーティー」を戦闘に投入。また、近隣の村を焼き払う作戦で、PDF側の補給を経ち戦意を失わせようとなりふり構わぬ戦術に出ている。

こうした国軍側の苦戦が続く中で、釈放した政治犯が武装化して敵の戦力となることを恐れ、国軍は政治犯の恩赦を認めなかった可能性がある。

政治犯の多くは、クーデターに抗議するなどした若者だ。2021年2月、ヤンゴンで撮影筆者。

◆ミャンマーへの国際社会の無関心も影響

またウクライナ情勢の悪化で、ミャンマーに対する国際的な関心が低下していることも、国軍が強い態度に出た理由に挙げられる。国軍は3月、東南アジア諸国連合(ASEAN)の特使を受け入れたが、ASEAN側が求めていたアウンサンスーチー氏ら民主派勢力との面会は拒否した。国軍は伝統的に政治犯の釈放を諸外国との取引材料に使っており、国際的に注目されていない状況下では、政治犯を釈放してもメリットが小さいともいえる。

欧米諸国が強く解放を求めているアウンサンスーチー国家顧問は10数件の事件で起訴されたのち、公判で順次判決が下されており、最大で約150年もの禁固刑を受ける可能性がある。

また今回、拘束中の外国人の42人の恩赦が発表されても、国民民主連盟(NLD)政権時代に政府の経済顧問だったオーストラリア人のショーン・ターネル氏は釈放されなかった。

こうした中で、ミャンマーの民主活動家の1人は、「不当に拘束された仲間を取り返すには、クーデター体制をひっくり返すしかない」として、あくまで抵抗を続ける構えだ。テインダンさんの友人たちも、引き続き釈放を求め、彼の支援活動を続けるつもりだ。(了)

 

北角裕樹(きたずみ・ゆうき) ジャーナリスト、映像作家。1975年東京都生まれ。日本経済新聞記者や大阪市立中学校校長を経て、2014年にミャンマーに移住して取材を始める。短編コメディ映画『一杯のモヒンガー』監督。クーデター後の2021年4月に軍と警察の混成部隊に拘束され、一か月間収監。5月に帰国した。

 

<ミャンマー>懲役3年の判決受けた日本育ちの映像作家ダンさん(1)
<ミャンマー>懲役3年の判決受けた日本育ちの映像作家ダンさん(2)

★新着記事