ネパール マオイストの肖像 小倉清子
第3回  ロルパ取材記 

【ガジュルコット村では、ちょうどトウモロコシを収穫し、小麦を植えるために牛を使って畑を耕す作業をしていた】

【ガジュルコット村では、ちょうどトウモロコシを収穫し、小麦を植えるために牛を使って畑を耕す作業をしていた】

マオイストの駐屯地で過ごす
ロルパはすでに10数回訪れているが、毎回、異なる目的をもって行くことにしている。今回(10月17日から28日まで)の訪問には、二つの目的があった。一つは人民解放軍の駐屯地に滞在して、何人かのマオイストにインタビューをすること。もう一つは、ロルパ中部にあるガジュルコット村を訪ねて、かつて多くの村々を支配した"セン王"の子孫を訪ね、彼らの歴史を探ることである。

マオイストは国連監視団の監視のもとに、昨年12月から全国28ヶ所(主要駐屯地は7ヶ所、サテライト・キャンプが21ヶ所にある)の駐屯地に滞在している。チタワンとナワルパラシにある駐屯地は何度か訪ねたことがあったが、ロルパ郡のダハバンにある人民解放軍第五師団の駐屯地を訪ねるのは初めてだった。この駐屯地には、第五師団コマンダーの"サラダ"や副コマンダー"ビベク"など、良く知ったマオイストが大勢おり、以前から訪ねてみたいと思っていた。

ダハバンはマオイストの"首都"タバン村へ行くときなどに、何度も通りすぎた村である。マオイストの駐屯地は、木もあまり生えていない裸の山の峰に設置されている。風当たりが強く、午後になると霧がかかるために、平地に比べてとても寒い。駐屯地の門を入ると、広場を囲んで約30ほどのキャンバス地のテントが並んでいる。そのなかの空いているテントに泊まり、女性コマンダーとロルパ郡ジェルバン村出身のマオイストにインタビューをして過ごした。

第五師団を率いるコマンダーの"サラダ"もジェルバン村の出身である。ジェルバン村は全国で最も大勢のマオイストを輩出し、人民戦争のあいだ最も大勢の犠牲者を出した村である。ジェルバンは、人口約3000人のうち、一時期は約200人が人民解放軍のメンバーだった村だ。

私は現在、このジェルバン村に関するレポートを書いている。ここに来た目的の半分は、ジェルバン村をマオイストの村にした張本人の一人であるサラダに、長時間のインタビューをすることだった。たまたまダサイン休みで時間があったこともあり、2日間にわたってサラダから、いかにジェルバン村が「マオイストの村」となったのか、詳細を聞くことができた。
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