18世紀後半、初代国王プリティビ・ナラヤン・シャハとその次男であるバハドゥル・シャハは、西ネパールに遠征し、当時各地にあった小さな王国を次々に征服した。ロルパにもバハドゥル・シャハの部下であるダモダル・パンデの部隊が攻め入り、南部にあるクングリコットの王は降伏した。しかし、ガジュルコットの王はパンデの軍と戦い、敗北して統一ネパールに統合された。その後、最後のセン王はガジュルコットを離れたあと、どうなったのか、今は誰も知る人がいない。

さて、2002年5月に拷問死したマオイストの詩人でジャーナリストでもある"イチュク"ことクリシュナ・センは、このガジュルコットのセン王の血を引くと聞いた。ロルパやルクムのマオイストのなかには、党スポークスマンを務めるクリシュナ・バハドゥル・マハラをはじめ。クリシュナ・センの影響を受けて、コミュニストになった人が大勢いる。

クリシュナ・センには生前に、私も何度か会ったことがあった。非常に誠実で正直な性格がにじみ出る人格者であったため、党外にも彼を尊敬する人が多かった。今も生きていれば、50歳代前半である。最初に非常事態宣言が発令されたあと、カトマンズ市内で拘束され、警察の施設内で拷問を受けて死亡した。週刊紙『ジャナアスタ』の一面トップで、彼の死を伝えるスクープ記事を読んだときには、私も大変な衝撃を受けた。今となれば、彼がロルパのセン王やマガルの人たちのことをどう思っているのか不明だが、ガジュルコットで、他の村人と変わらない農民生活を営むセン王の子孫たちに会って、彼らの中央の支配者からの被害者なのだと実感した。