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“コミュニスト結婚式”で、”バルン”から毛沢東の本を受け取るアナンタとウシャ。バルンは後に警官に殺害された。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)

“コミュニスト結婚式”で、”バルン”から毛沢東の本を受け取るアナンタとウシャ。バルンは後に警官に殺害された。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)

■ 第14回 武装訓練、戦闘隊のメンバーとなったウシャ
パチャバン村で政治トレーニングが開かれた直後、ロルパとルクムでは武装活動の準備が始まった。
ララク・ダル(戦闘隊)、スラチャ・ダル(治安隊)、スワヤンセバク・ダル(ボランティア隊)という3種類の部隊が結成されたのである。戦闘隊は訓練された精鋭部隊といっていいもので、主にYCLのメンバーからなる武装グループだった。

戦闘隊が郡のレベルで結成されたのに対して、治安隊は村のレベルで結成された地元の部隊だった。戦闘隊はその後人民戦争が始まると、マオイストの正規軍(人民解放軍)として発展していった。

一方、治安隊は地元民を守る"ジャナ・ミリシア(人民義勇軍)"として、各村に結成されるようになる。ボランティア隊は武装勢力というよりも、マオイストの党活動を補助する活動をする部隊だった。

ロルパで最初に結成された戦闘隊には36人のメンバーがいたが、女性として最初のメンバーとなる栄誉を得たのは、ウシャとタラの2人だった。パチャバンで初めて銃を撃ったもう一人の女性であるサパナは、治安隊のメンバーとなった。

一方、パチャバン会議の後、ウシャの夫アナンタはYCLのロルパ郡会長として、人民戦争を始めるための最終的な準備である武装訓練に参加するためにゴルカ郡に行った。

全国から約25人の党員が参加して、インド軍傭兵のグルカ兵元大尉であるグルン族の老人から、2日間にわたって銃の撃ち方や爆弾の作り方、そしてゲリラ戦に関する訓練を受けた。
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