ロルパ郡コトガウン村の集落。(撮影:小倉清子)

ロルパ郡コトガウン村の集落。(撮影:小倉清子)

 

nepal_maoist_B0200_001■ 第15回 人民戦争開始の知らせ
1996年2月9日のことである。ウシャは待っていた知らせを受け取った。その日のうちに、母親に"サトゥ"を作ってもらった。サトゥは大麦と小麦の粉を混ぜて炒って作る、ネパールでは一般的な非常食だ。

5キロのサトゥに1キロほどの"サッカル(粗糖)"の塊、戦闘隊のメンバーになってから渡されたククリ(ネパール刀)と棒、そして着替えの服を一組、リュック・サックに入れて家を出た。

向かった先は、ジャンコット村の集落から離れたところにあるシェルターの家だった。6,7人が集まった。女性はウシャ一人である。そこで夕食をとり、暗くなってから歩き出した。

夜中歩いて着いたのは、コトガウン村の山の峰にあるダルボトと呼ばれる小さなバザールだった。その集落にある戦闘隊のメンバーの家に行くと、他のグループも集まってきた。

もう一人の戦闘隊の女性メンバーであるタラは、知らせを受けたあと、ダルボトにある夫ソナムの実家に来た。当時、ロルパ郡の北東の端にあるタバン村で党活動をしていたソナムも、同じ日の夜に家に帰ってきた。

ソナムの家は村では"コミュニストの家"として知られていた。ソナムは6人兄弟の末っ子だったが、2番目の兄は民主化後初の地方選挙で、マオイストの前身である統一人民戦線ネパールから立候補してコトガウン村の村長になった。

他の兄たちも全員がコミュニストの活動家だったために、ソナムも当然のように学生のときから活発に政治活動をするようになった。学校の教師となったものの、党活動が原因でくびになり、さまざまな容疑で起訴されたあとには、アナンタらと同様に家を離れて完全に地下に潜行して党活動をするようになった。

ソナムの家族を除くと、彼がタラと結婚したことを知っている人は、村にはいなかった。タラは活動の地域が異なる夫と久しぶりに会い、2日間を夫の家で過ごした。しかし、タラにはゆっくりとする暇などなかった。ソナムに大量のサトゥを作るよう指示されたからである。

タラは、ソナムの兄で、やはりマオイストであるロシャンの妻と2人で、日中は大麦と小麦の粉を炒り、夜になると、炒った塊をつぶす作業に専念した。


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