1996年、ロルパ郡のマオイストの女性組織のメンバーたち。前列右から2番目がウシャ。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)

1996年、ロルパ郡のマオイストの女性組織のメンバーたち。前列右から2番目がウシャ。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)

 

nepal_maoist_B0200_001■ 第16回 警察詰め所襲撃
ソナムの家と、そして同じ集落にあるズワラの家には、戦闘隊のメンバーたち36人が集まっていた。ロルパのマオイストの精鋭部隊といっていい顔ぶれである。

女性はウシャとタラの2人だけだった。アナンタやパサンなど、その後マオイストの武装勢力の中核となっていく若者が大勢含まれていた。ここに来て初めて、ウシャは彼らがロルパ南部にある警察詰め所を襲撃にいくのだということを知った。

人民戦争の始まりを告げる襲撃である。しかし、どこをいつ襲撃するのかについては、まだ知らされていなかった。
2月10日の夜、戦闘隊の36人は村人に気づかれないように静かにダルボトのシェルターを出て、次のシェルターがあるヌワガウン村のヒャンに移動した。歩いて数時間の距離である。ここに12日の夜まで滞在することになった。

ヒャンのシェルターでは、党中央のリーダーである"バーダル"とマハラが彼らが来るのを待っていた。二人のリーダーは戦闘隊のメンバーたちに、これから人民戦争が始まること、その最初のアクションとして、彼らがこれから警察詰め所を襲撃することを告げた。

第一目の襲撃はシンボリックなものであるために、人を殺してはならないという指示を出した。この襲撃が「歴史的なものになる」と聞いて、ウシャたちの心は躍った。

武装闘争を始める準備として、党首プラチャンダとバーダルは2人で歩いてマナン郡を訪れ、ライフル2挺を手に入れていた。この旧式なライフルは、ネパール警察が使っているのと同じ銃である。

マオイストが人民戦争を開始したとき、このライフル2挺が自家製銃以外でマオイストが持っていた唯一の銃だった。
マナンで手に入れたライフルのうち1挺は、"シーザル"ことディペンドラ・プン・マガールがゴルカ郡に出向いて、密かにロルパに運び込んでいた。そのシーザルも、戦闘隊のメンバーとして襲撃に参加していた。

ヒャンにいるあいだ、ウシャたちはバーダルやマハラから襲撃のための政治トレーニングを受けて、心の準備をするとともに、ライフルの使い方を初めて教わった。トレーナーはこの襲撃を指揮する"コマンダー"のアナンタである。

人民戦争初日の1996年2月13日、ロルパのホレリ警察所襲撃で使われた.303ライフル。武装闘争を始めるにあたって、プラチャンダ党首みずからが、ヒマラヤ山岳地帯のマナンに出向いて購入した2本のライフルのなかの1本。(写真提供:「人民戦争から和平協定まで」写真展実行委員会)

人民戦争初日の1996年2月13日、ロルパのホレリ警察所襲撃で使われた.303ライフル。武装闘争を始めるにあたって、プラチャンダ党首みずからが、ヒマラヤ山岳地帯のマナンに出向いて購入した2本のライフルのなかの1本。(写真提供:「人民戦争から和平協定まで」写真展実行委員会)

このとき、36人の戦闘隊が持っていた武器は、ライフル1挺、村のカミ(ダリット)が作ったピストル1挺、約10挺のバルワ・バンドゥク、各自が持つネパール刀のククリと自家製の簡易爆弾だけだった。

彼らが持っていた銃弾は限られた数しかなく、ヒャンで撃ち方を教えたときに、アナンタが一発だけライフルを撃った。このとき、ハプニングが起こった。アナンタ自身、初めてライフルを発砲したのだが、撃ったときに壊れてしまったのである。

つまり、党首自身が何日も歩いて手に入れた、唯一の"まともな銃"が使い物にならなくなってしまったのである。
(つづく)

【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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