ルクム郡マハト村の集落。右手に見える残骸はマオイストの襲撃で破壊された警察詰め所。(2003年 3月8日 撮影 小倉清子)

ルクム郡マハト村の集落。右手に見える残骸はマオイストの襲撃で破壊された警察詰め所。(2003年 3月8日 撮影 小倉清子)

 

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◆ 第24回 マオイストの"首都"、タバン村へ (3)
3月8日、午前7時すぎにルクムコット村を出て、タバン川沿いに南に向かった。川幅が広いベリ川やサノベリ川沿いのなだらかな道と違って、急流のタバン川をかなり下に見下ろしながら崖道を歩く。

ルクムコット村を出てしばらくすると、家の屋根に使う雲母の薄い板状の石を担いだ女たちのグループに会った。小さな子供たちは1枚ずつを、大人の女たちは5,6枚を背負って山道を登ってくる。

ネパールの山村では、どこに行っても女たちが一番の働き者である。子供たちも良く働く。格好の被写体だったが、喉の痛みと熱のために、写真を撮るためにカメラを取り出す気力もなかった。村人にもらった杖をつきながら歩くのに精一杯である。

午後1時に、山を登りきった広場にあるマハト村の集落に着いた。広場の奥には学校があり、その入り口にはマオイストが作った赤い横断幕が風にはためいていた。

北にはヒマラヤの白い山並みを、南には山の中腹にタバン村に向かう道が延々と続いているのを望むことができる。広場の中央には朽ち果てた建物の跡があった。1999年9月にマオイストが襲撃した警察詰め所の跡だった。

この広場で、この地域のマオイストの責任者であるディルガに会った。後で知ったことだが、ディルガはタバン出身のマオイストのなかでも、最も長く党で働いた経験をもつリーダー格の活動家だった。このとき52歳だったディルガは、この1年半後、国軍の襲撃で死亡している。

2002年9月、つまり私が訪れた約5か月前に、この集落ではマオイスト4人と一般の村人10人が国軍の治安部隊に殺害されていた。村を襲った悲劇について、ディルガが語った話によると、集落がある山のふもとでマオイストの武装勢力と治安部隊のあいだで交戦があった。その翌日、治安部隊はこの集落に来て民家に押し入りマオイストを探してまわった。このとき、治安部隊は家のなかに押し入って無差別に発砲をした。

殺された10人の村人のうち、2人は子供、2人は聾唖者、2人は女性だった。サリヤン郡からここまで来るあいだ、滞在したほぼすべての村で、警察や国軍により殺害された村人の話を聞いた。村人の殺害は政府の側からだけでなく、マオイストもやっているのだが、彼らに聞かれるのを気遣ってか、それに触れる村人はほとんどいなかった。この地域がマオイストの支配下にあることを思い知らされた。
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