私は、藁にもすがる気持ちで、離れて暮らしていた母に助けを求めました。そして、父の病気のことや家庭内の事情もあって、私と弟は母に引き取られ、母と一緒に暮らすようになりました。

なんとかして今の状況から逃げ出したかった私は、ほっとした気持ちからか一気に体調を崩してしまいました。結局追加試験は受けず、家でしばらく休んだ後、私は、市内の一般高等中学校の中で模範学校とされる、K高等中学校に転校することになりました。

この高等中学校は、中国から訪問団などが来たときに見学する学校で、特に伽耶琴(朝鮮固有の弦楽器)演奏が有名なこの学校の音楽サークルは、その訪問団の前で公演を行ったりもしていました。そして、私は転校してからこの音楽サークルに入り、伽耶琴を習い始めました。これでやっと、やりたかった音楽をやることができたと喜んでいた私でしたが、その喜びは長く続きませんでした。

私は、以前から溜まっていたものや、現在の生活に適応できない焦りなどが重なり、精神的に参ってしまっていました。体調不良が続き、学校に通い続けることが困難になったため、結局学校を休んで1年くらい家で療養することになりました。私が14歳くらいのときの出来事でした。
家で休むようになってから、私は母を手伝い家事を習い始めました。食事の支度や掃除、洗濯なども全部自分でできるようになり、すっかり「主婦」役にはまってしまいました。

学校に対するプレッシャーから解放されてからは体調も好転し、1年間に12センチも背が伸びました(その後は完全に成長が止まってしまいましたが)。次の新学期には学校に通えると見込めるほど、元気を取り戻しつつありました。私の人生に大変化をもたらす不幸な出来事が近づいてきているのをついぞ知らず、私は、すっかりその生活に満足していました。

著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
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