第4回 絶対権力を手にした国王
ネパール国王が首相と内閣を解任。事実上のクーデターである。民主化勢力は巻き返しを図り、マオイストと政府は歩み寄る。

 
  カトマンズ市旧王宮前広場に飾られたギャネンドラ国王の巨大な肖像画。

国王による「無血クーデター」
2001年11月26日に国家非常事態宣言が発令され、マオイスト掃討の目的で王室ネパール軍が全面展開されてから、憲法で規定されている多くの基本的人権が停止された。

言論・表現の自由、平和的集会の自由、国内を移動する自由などが停止されたばかりでなく、テロ活動に関与しているという疑いがあるだけで、官憲は逮捕状なしにだれでも90日間拘束できることになった。

治安維持の主導権は警察から軍に移り、憲法にはその権利が記されていないにもかかわらず、軍がマオイストやその被疑者を拘束するようになった。ある日突然、軍や警察に拘束されて行方不明となるケースは日常茶飯事となった。報道関係者の拘束も、2002年末までに100人を超えている。

国民がマオイストと官憲の両方から脅かされる生活を強いられているなかで、中央政界も混乱を極めた。
2002年5月22日には、国家非常事態の延長動議を国会で採択するか否かをめぐって与党のネパール会議派内が割れ、自党から延長動議の支持が得られないと知ったシェル・バハドゥル・デウバ首相は、ギャネンドラ国王と会見した直後、閣僚にも知らせずに国会を解散した。党決定に従わなかったことが原因で、デウバ首相はこの後、ネパール会議派から除籍処分を受けた。

解散とともに、デウバ首相は同年11月に総選挙を開催することを宣言したものの、マオイストの武装闘争が全国に広がり、75ある郡のほとんどで、郡庁所在地以外の村に警察も軍も常駐できないような状況では、選挙開催が不可能なことは誰の目にも明らかだった。

同年8月には地方議会の任期が切れて解散となり、中央にも地方にも国民が選んだ行政機関が皆無となった。そして「11月総選挙」が実質的に不可能となった10月4日、デウバ首相は「総選挙の1年延期」を国王に申し出た。ギャネンドラ国王はこの夜、国営放送を通じて、「首相の不能力」を理由にデウバ首相とその内閣を解任したことを国民に告げた。1990年の民主化後に制定された憲法では国王に首相を解任する権利を与えてない。

したがって、これは実質的な「無血クーデター」である。2001年6月の「王宮虐殺事件」以来、国王が軍を使ってクーデターをするのではないかという噂がたびたび囁かれたが、国王はまさに“好機”をつかんだと言っていい。
次のページ:「10月4日に憲法は死んだ」...