ベニに来て4日が経った。当初は2,3日で戻る予定だったが、ここから車で3時間のところにある観光都市ポカラで、今日、ギャネンドラ国王夫妻の「市民歓迎集会」があり、これを阻止するために、マオイストがガンダギ地域で昨日からゼネストを決行している。

すべての交通手段がストップしたため、カトマンズに戻るのを諦めて、腰を据えて取材を続けることにした。今日は朝涼しいうちに、2日目から取材を手伝ってくれているディペンドラ青年と地元の小学校教師とともに、山道を1時間ほど登った村に行くことにする。

2つの川にはさまれるようにして、ベニ・バザールは狭い谷間にある。山道はバザールのすぐ裏から登りが始まる。山道の途中、数箇所に3月20日の襲撃で犠牲となったマオイストの遺体が埋められていた。いずれも浅い穴を掘って土をかけただけ。遺体の一部がむき出しになったすぐ横を、村人が鼻をつまみながら通っていく。

岩の影や側溝に、マオイストが放置していったと思われる爆発物や手りゅう弾があるのも見た。山頂にある大きな菩提樹の下100メートルほどのところに、マオイストが長距離砲を仕掛けた場所を見つけた。付近に残された砲弾の入れ物と現場に残された跡から、81mm長距離砲1基と2インチ長距離砲2基をここに設置し、下に見える軍兵舎と軍警察署に向けて発砲したことがわかる。

マオイストはこのほかに、少なくとも2箇所に長距離砲を設置して攻撃に使ったようだ。彼が使っている長距離砲は、2001年11月にダン郡郡庁所在地のゴラヒにある軍兵舎を襲撃した際に強奪したものだ。今回のベニ襲撃でマオイストはかなりの砲弾を消費したことは明らかだ。

この襲撃では200人近いマオイストが死亡したようだ。ほとんどが10代、20代の若者である。彼らは一体何のために戦っているのか、川に流されてくる変色した遺体や、道端にむき出しになった腐乱した遺体を見るたびに心が痛む。

バザールに戻ると、東洋人らしい男女2人組みのトレッカーが警察官とけんか腰に話しをしていた。聞くと、韓国人らしい。マオイストによるゼネストでポカラに戻る交通手段がなく、警官に「何とかしてほしい」と頼んでいるのか、強要しているのか。高飛車な様子に少々不快感を覚えた。

彼らにとって、ベニ襲撃のことなど、鼻から興味もないのだろう。すぐに赤十字の救急車に乗って、ポカラへと発った。ジョムソン街道など、有名なトレッキング・ルートの始点にあたるベニ・バザールには、外国人トレッカーが訪れることもめずらしくはない。ベニ襲撃の夜には、たまたまバザールには外国人トレッカーは一人も泊まっていなかった。もし当夜、一人でも外国人がいたら、観光の点からも国際的な注目を浴びたにちがいない。  次へ >>
(2004年3月28日)

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