イスラエルによるパレスチナへの攻撃は、国家テロというべきものです。しかし、イラクへの制裁がある一方、イスラエルの行為は黙認されているようです。
問題なのはこのような不条理に対して、我々自身があまり怒りを持っていないということです。どうして怒りが持てないような社会になったのでしょうか。それを考えています。

――イラクの現状についてもう一度、考えをお聞かせください。
野中  イラク戦争はアメリカが起こしましたが、開戦の理由は二つありました。ひとつはフセイン大統領やイラクがアル・カイーダというテロ組織を支援していること。

二つ目はイラクは大量破壊兵器を持っており、差し迫った脅威があること。しかしながら、二つとも証拠は出てきませんでした。むしろ、攻撃を始める口実にするため、情報操作が行われただけで、そういったことはなかったのではないかというのが真相のようです。

しかし、戦争が起きてしまった結果、たくさんの人の命が失われました。不思議なことにブッシュ大統領も、小泉首相もイラクで亡くなったイラク人に対して悼みを表現することはありませんでした。彼らの政治的な判断のためにたくさんの人が死んでいるという状況に対して、政治家達が責任を負うような自省の言葉はありません。

これは驚愕すべき事実です。捏造された理由で戦争が行われ、多くの人命が失われているのに、戦争を始めた政治家たちは誰もその責任を取ろうとしないばかりか、まだ「解放の戦い」「正義の戦争」であるとか、「人道支援」「国際貢献」という言葉が踊っています。

市民の側にもこの政府を変えていくという力が足りない、あるいは反対の声がなかなか届いていかないことに対して、なぜそうなのか、ということをきちんと考えていく必要があると思います。
何故イラクが泥沼化しているのかということについて言うと、一つは大義のない戦争だということです。

イラクで米兵達に会ってみると、若者が多いのです。検問所には二十歳前後の女性兵士もいますし、彼らと話しているとアメリカの田舎のハイスクールの生徒と話しているような気になります。彼らの多くは、最初は自分達の祖国が行った戦争は解放戦争だということについて疑いを持っていなかったようです。

しかしながら、現実にイラクに来てみるとイラクの人々とほとんど交流できず、いたる所で自分達が襲撃の対象となっている。何故これほど憎まれなければいけないのか、戸惑いを覚えている米兵は多いと思います。ただ、軍人ですから命令には従わなければいけない。
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