自衛隊がやっていることは国際貢献とは無縁なことです。イラクの人々のために自衛隊は派遣されて、戦後復興のために努力しているという論理がありますが、僕から言わせれば自衛隊は日本や米国の国益のためにいるのであって、イラクのためではない。そういうことをイラクの人達はよく知っているのです。

ファルージャで800人もの人々が大虐殺されていることに対して、日本はそれを非難するどころか、積極的に米軍占領体制を支えようとしています。本当にイラクの人のためにそこにいるのであれば、イラクの人達の命が失われないように努力をするべきです。

結局、日本の行動基準は、石油欲しさであれ、イスラエルに対する安全保障であれ、対米協調という一点に尽きます。自衛隊はアメリカへの忠誠の証として派兵されたにすぎません。イラクの人々の「幸福」とは何の関係もありません。

これ以上日本やアメリカの「国益」(この「国益」は国民にとっては「反国益」であることは明らかです)のためにイラクの人達を殺すべきではない。だからすぐに撤退すべきだというのが僕の意見です。
――イラク戦争は大義のない戦争だとおっしゃっていましたが、大義や正義といったものは個人の価値観であり、必ずしも正しいとは限らない。大義の有無は戦争の動機には成り得ないと思います(質問者は16歳の高校生)。

野中 戦争に良い悪いはなく、戦争自体が悪だという考え方があります。その辺は議論したい所です。僕は戦争をすべきでないと考えていますし、ジャーナリストの立場から戦争への動きに対して批判をするわけです。でも暴力自体も否定できるかと言われれば必ずしもそうではありません。

僕は絶対的な平和論者ではありません。暴力を使わざるをえない状況とはどんなときなのか、いつも考えさせられるのです。
僕は東ティモールやビルマ、インドシナ、アフガニスタン、ソマリアなど、世界の紛争地を歩いてきて、少数者が銃を持って政府に立ち向かうという状況を見てきました。その時の暴力とはどういうものかというと、例えばビルマ東部のカレン民族はビルマの中央政府と戦っています。

現地に行けば、武器をとらないと自分達の文化や生存そのものが抹殺されるという状況に置かれていることがわかります。ビルマの政府軍がどんどんやってくるので銃をとって戦わない限り、自分達は生存できない。その時、彼らは銃をとる。

しかし、そういう戦いでも彼らがビルマ軍を襲撃した時には必ず民間人が傍にいて、子どもや女性が犠牲になることもあります。戦いはいけないと思っても、現実的に武力で抵抗しない限り自分達の尊厳を守れないという状況があることも事実です。
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