ミャグディ郡の郡庁所在地ベニ。手前を流れるミャグディ川に沿って、王室ネパール軍の兵舎、政府関連役所、郡警察署が並ぶ。

これまでで最大規模の襲撃
襲撃の現場となったミャグディ郡の郡庁所在地ベニは、外国人観光客にも有名なポカラ市から西へ車で約3時間のところにある。

最初に現地を訪れたとき、私はまず、ポカラからの近さに驚いた。ポカラには国軍である王室ネパール軍の1個旅団が駐屯する。ベニまで直線距離にして50キロほどしかない。王室ネパール軍がヘリコプターで応援にかけつけようと思えば、すぐの距離である。

位置からすると、一見不利なようにも思えるが、その地形を見ると、ベニの町がいかに襲撃しやすいかは一目瞭然だった。ベニは外国人トレッカーにも人気のあるジョムソン街道沿いに流れるカリガンダキ川と、ダウラギリ峰から流れてくるミャグディ川が交差する地点にある。

二つの川にはさまれるようにして、山並みに囲まれた小さな盆地の底に、南北約1キロ、東西約500メートルにわたってバザールが広がる。マオイストが襲撃の目標とする郡警察署や政府関連の役所、軍の兵舎はそのバザールの南の端、ミャグディ川に沿って一直線に並んでいる。ベニの周囲には長距離砲などを設置するのに適した山がそびえる。マオイストの側からすると、これほど襲撃しやすい地形はないといっていい。

マオイストはこのベニにある軍施設や郡警察署、刑務所、政府関連役所を、3月20日午後11時から翌21日午前11時にかけて約12時間にわたり襲撃した。それは、マオイストがこれまで決行したなかで最も長時間にわたる襲撃となった。

最終的に彼らが最大のターゲットの一つとした王室ネパール軍の兵舎を占拠することはできなかったが、郡警察署を占拠して武器を強奪、郡行政府の庁舎のほとんどを破壊・焼き討ちし、郡警察のトップと郡行政府のトップ(CDO)を含む40人近くを捕虜として拘束していった。

ネパールでは、ほとんどの山岳地帯で車道が通っていない。したがって移動の手段は徒歩である。マオイストも山岳地帯で襲撃を決行する際、何日もかけて徒歩で現場に移動してくるわけだ。ベニ襲撃では6000人から1万人と見られる襲撃部隊が、ミャグディ郡の西にあるロルパ郡タバン村周辺に結集し、数日をかけてベニにやってきた。

ロルパ郡の北の端にあるタバン村は、半世紀前からコミュニストの村として知られた村で、マオイストが人民戦争を開始した当初から"base area(本拠地)"として確立した地域の心臓部にあたる。2003年3月に取材でタバン村を訪れた際、私はこのマガル族の村がマオイストの"首都"として機能しているような印象をもった。

 
マオイストの"特別区"の心臓部にあるロルパ郡タバン村。約半世紀前から"コミュニストの村"として知られていた。   タバン村のマガル族の村人。マオイストの人民解放軍のコマンダーには、この地域出身のマガル族が多い。
 
  ベニ襲撃の3日前に、マオイストの襲撃部隊が集結した西ミャグディにあるタカム村。

マオイストはベニ襲撃で初めて、4人の"従軍記者"を参加させた。そのなかの一人でマオイストの党機関紙『ジャナデシュ』の女性記者"サンデャ"は、同紙に掲載された記事のなかで、"特別区"のどこかで西師団コマンダーのパサンが集結した武装マオイストに襲撃のための訓練をしたことを明らかにしている。

サンデャは記事のなかで「タバン村」と明記していないが、それが"特別区"の本部があるタバン村であることは間違いないと思われる。
襲撃の参加者"エタム"が同紙に書いた記事によると、訓練のあと、西師団に属する4つの旅団はタバン村に近いルクム郡ルクムにある学校の校庭でパサンから最後の指令を受けて、ベニに向かって出発した。

部隊は標高3000メートル級の山々を越え、王室ドルパタン狩猟保護域を通ってミャグディ郡に入り、3月 17日にタカム村の周辺に再度集結した。襲撃の3日前のことである。

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