この二人とともに、その後、政治局メンバーとなった"ソナム"(クル・プラサド・K.C.)も、この襲撃に参加している。36人のなかの唯一の女性メンバーである"ウシャ"(オンサリ・ガルティ)と"タラ"(タラ・ガルティ)は、その後、それぞれアナンタとソナムと党内結婚している。
ウシャは、女性として初めて、人民解放軍の大隊コミッサーとなり話題になった人物だ。
彼らこそが、その後、10年間続いた人民戦争を前線で戦い、武装勢力の発展に尽力した人たちなのだが、当時はまだ、全員が10代後半から30歳の若者だった。

中央政府から見放されたロルパの貧しい山村で生まれ育った彼らの大半が、「国を変えたい」という純粋な意図を持って、武装闘争を開始したのであろうことは容易に想像がつく。

「なぜ始めたか」よりも、「なぜ拡大したのか」
さて、「マオイストはなぜ、20世紀の終わりになって人民戦争を開始したのだ」という問いを受けることがある。
一言で応えると、「1949年にネパール共産党が結成されて以来、ネパールのコミュニストの一派が連綿と抱き続けてきた武装革命開始の意図の実現」ということになる。

ネパール共産党の創始者プスパ・ラル・シュレスタから、現在のマオイストの党首"プラチャンダ"こと、プスパ・カマル・ダハルまでが"夢"として抱き続けてきた武装革命の意図が向かうところは、言うまでもない。

18世紀半ばにシャハ家がネパールを統一して以来、さまざまな形でネパールを支配してきた王制の打倒である。
貧困や差別など、ネパール社会に根付くさまざまな問題の根源が王制にあると考え、王制打倒・共和制実現を考えるのは、共産主義者として当然の思考経路だろう。

つまり、マオイストが人民戦争を開始した理由は、政治的な意図に基づくものであったわけだ。しかし、その後、マオイストが全国で急拡大することに成功した事実の背後には、別の要因がある。
マオイストの問題を語るとき、実は、開始した理由よりも、急拡大した要因のほうが大切であると思う。なぜなら、そこにはネパール社会が抱えるあらゆる根本的な問題が反映されているからだ。
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平等社会を夢見てマオイストになる
マオイストが1996年に人民戦争を開始した当時、フルタイムで党の仕事をするメンバーは、全国で100人もいなかった。
党組織は全国に75ある郡のうち、半分以下の郡でしか結成されていなかった。当時、彼らが持っていた武器にいたっては、プラチャンダ党首が自らマナン郡に出向いて購入してきたライフル2挺と"バルワ・バンドゥク"と呼ばれる鳥獣を撃つための自家製ライフル、ネパール刀のククリだけだったのだ。

【2004年10月にロルパ郡で開かれた"コミュニスト祭"で、会場を警備するジャナミリシアの少女たち】
それが、約10年後の2005年末には、約15,000人からなる人民解放軍と、そのほぼ同規模の"ジャナ・ミリシア(人民義勇軍)"と呼ばれる予備軍を持ち、全国の約8割の土地で独自の"人民政府"を樹立して支配するにいたるのである。