日本の福岡県から朝鮮に帰国した一家(「ジェポ」)の家族写真。60年代初めに撮影されたものと思われる。後列右から二番目の李紀子さんのみ脱北に成功したが、残りの家族は90年代半ばまでに全員亡くなったという。(提供 李紀子氏)

 

北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 14
「ジェポ」と対日工作員
「管理所」には「ジェポ」(在日同胞を蔑んで〝在胞(ジェポ)〞と呼んだ)が大勢収容されていた。「ジェポ」たちは目立っていた。残念な死に方をした人も多い。

元山(ウォンサン)経済大学を卒業後、元山で暮らしていた玄(ヒョン)シンホ(生きていれば四〇歳くらい)というジェポは、一九九〇年代の初めに「18号管理所」に収容されてきたという。党員ではなく、外貨調達ビジネスの会社で働いていたが、シャバでは風紀紊乱の「常習犯」のレッテルを貼られていたという。

彼は特別な裁判を受けて「18号管理所」に収容されたということで知られていた。いったい何をしたのかというと、映画によく出てくる女優で将軍様が寵愛していた女性に手を出したというのだ。その女優は将軍様が保証人になって入党もした人物だという。

玄シンホがいくら無罪を主張しても、その女優の証言したカセットテープが、既に将軍様の手に渡ってしまっていたので、どうすることもできなかったらしい。女に手を出しただけで政治犯の統制区域に収容されるなんて気の毒だ、と「管理所」の中の人間皆が口をそろえた。
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