このような状況は、国の計画経済を侵食し、不正腐敗の温床となった。大都市の国家住宅割り当て事業は、取り返しのつかない混乱の中へと陥っていった。地方都市、郡部などでは、数年に一度くらい、数十名の党、行政、経済幹部たちが不正住宅に関する各種処罰を受けることはあったが、しかし、すでに社会全体が金の味を知ってしまったため、闇の「住宅売買」の増加を抑えることは困難となっていった。一九八〇年代に発生し拡大の一途を辿った住宅の闇市場拡大の影響で、今では、一般住民への国家住宅割り当ての制度は、実体はほとんど消滅したと言っても過言ではない。
(つづく)

注1 一九八六年から始まった第三次七カ年計画の中で、金日成は技術的検討もろくにせず、外貨獲得の当てもないのに、順川ビナロン連合企業所、沙里院カリ肥料連合企業所などの大プラント建設をすすめた。朝鮮の経済に深刻な打撃だけを与える結果となった。

注2 住宅不足への対策方法の一つ。発給された住宅使用許可証の登録者世帯(「元家」と呼ぶ)の住宅の一部屋に、追加して他の世帯を入居させること(同居)。これにもやはり政府の許可が必要。このように他人の家で暮らす世帯を「同居家庭」と言う。

注3 粗末な一般住宅を撤去してそこに新たに建てた住宅には幹部が入り、その幹部が住んでいた家には幹部の親戚を住まわせ......。このように回っていき、ついに最後には、追い出されて「同居」暮らしに追いやられていた住民世帯が、やっと入ることのできる、残り物のオンボロ住宅を指す。
注4 公務、教育、実習、労働などのため海外に出ている家族がいる世帯を言う。

注5 地方に住む帰国者たちの場合、高額の寄付金さえ出せば平壌での居住も可能だった。日本からの帰国者は、特別待遇として自家用車所有も許された。撤去地帯に建設された平壌市牡丹峰(モランボン)区域安商宅(アン・サンテク)通り、ブクセ通りもこのような「ジェポ(日本からの帰国者の俗称)村」の一つだった。

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