「不法越境者を助けるべからず、留め置くべからず」。脱北難民が急増すると、このような立札が国境地域の辻々に立てられた。(1997年8月中国延辺朝鮮族自治州 石丸次郎撮影)

「不法越境者を助けるべからず、留め置くべからず」。脱北難民が急増すると、このような立札が国境地域の辻々に立てられた。(1997年8月中国延辺朝鮮族自治州 石丸次郎撮影)

 

解説1:中国での逮捕、北朝鮮への送還(上) 石丸次郎
中国での逮捕
北朝鮮から脱出する人たちは、豆満江、鴨緑江を越えて中国の地に無事に辿り着けたと安堵していられるのも束の間、すぐさま今度は中国当局の取締りに神経を使わなければならなくなる。

難民の流入が急増した九七年以降、中国当局は、彼らの移動と拡散を封じ込めるため、国境地域からのバスや列車の乗客に対しての身分証明書の提示や荷物検査を徹底する「難民検問」が実施するようになった。

また、北朝鮮と国境を接する延辺朝鮮族自治州では、警察がほとんどの世帯を巡回訪問して脱北難民を探し出すローラー作戦を度々行った。朝僑(中国に在住する北朝鮮国籍の朝鮮人)ら一部住民たちの密告によって逮捕されることも多い。

また、北朝鮮の保衛部(情報機関)要員が脱北難民を探し出し、中国の警察に通報して逮捕させる事例も少なくなかった。
このように、二〇〇四年ごろまで、朝中国境地帯ではまさに「難民狩り」と呼ぶにふさわしい取締りが行われていたのだった。

この厳しい取締りの結果、一九九七年から二〇〇二年頃まで、平均すると年に一万人が北朝鮮に送還されて行ったのではないかと筆者は見ている。
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