若者たちと治安部隊は衝突を繰り返している 08年 廣瀬和司 撮影

■ インド政府の弾圧に憤る人びと
現在の騒乱に至る幕開けは、7月5日の事件だった。州都スリナガルのバトマルー地区では、その前の週に南カシミールで警察によって3人の少年が虐殺されたとする事件の抗議行動を行っていた。
その参加者の一人ムザッファー君(17歳)が治安部隊に追いかけられ、川に飛び込み溺死したのだ。ただ地元英字紙グリーターカシミール(GK)紙が両親の話しを伝えたことによると、遺体に拷問の傷跡が残されており、殺された後に川に捨てられたらしい。

彼の葬儀の列は反インドを唱えるデモと発展した。投石をしていたわけではなかったが、そこに警察や治安部隊が催涙弾を撃ち込んだ。遺体を運ぶことを懇願する親族にも容赦ない暴行が加えられた。この顛末が知らされるや、各所での抗議行動が広がった。その結果4名の死亡者を出すことになってしまった。

 

暴動のさらなる拡大を恐れた州政府は、翌日から厳しい外出禁止令を施行した。GK紙他、現地の英字紙が伝えることによると、ジャーナリストや報道カメラマンでさえ通行許可証を持っていても関係がなかった。カメラマンたちは殴られ、カメラは地面に叩きつけられた。

印刷した新聞の運搬が妨害され、配られなかった。人びとが連絡を取り合わないよう一部の電話線はカットされ、携帯電話のメールサービスであるSMSも停止された。インターネットのSNSであるフェイスブックは警察に検閲されており、騒動のことを掲載すると、逮捕するぞ、と脅しの電話がかかってきた。

また、これまで投石の参加者を特定し、夜な夜な警察がそれらの家に押し入り、1千人以上の若者が逮捕された。これらの若者を扇動していると、カシミール弁護士会の会長さえも逮捕された。
それでも、外出禁止令を破って人びとが抗議行動をするため、一時は正規軍が出てきて重装甲車が市中をパトロールした。
だが、これらの対策は人びとの気持ちを押さえつけるだけで、何の解決策にもなっていなかった。そして、7月30日、北カシミールのソポールのデモで治安部隊が実弾を発砲し2人が死亡すると、事態悪化に拍車がかかった。

誰かが殺されると激しいデモが繰り広げられ、鎮圧のために治安部隊がまた発砲する、という負の連鎖の繰り返しだった。
7歳の子供が治安部隊によって撲殺される事件も起き、こうした運動から距離を置いていた人びとからも声が出始めた。私は幾人かの現地の友人に電話で話しを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「7歳の子供が石を投げて、どうやって治安部隊に届く? インドの内務大臣は、投石行為にはパキスタンの武装勢力が背後にいて扇動してる、と言うばかりだ。これは、人びとの自発的な運動なんだ。こっちに来ればわかる。政府は悪質なプロパガンダを発するだけで、まともに話し合おうとはしない」
「暴力を止めよというけど、僕たちは武器など一切持ってないんだぜ。もう何人も殺されているんだ。石を投げたからといって、なぜ殺されなければならない?」
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