◆闇夜、ゴムボートに乗り、波打つ中ギリシャ領の島を目指して進む

2年前、戦火のシリアを脱出し、ドイツに難民として受け入れられたフェルハッドさん一家。妻と子どもと筆者で写す。(2017年8月ドイツ西部で撮影)

2015年9月、トルコの海岸に3歳の遺体が流れ着いた。ギリシャに渡ろうとしたボートが転覆、溺死したシリア難民だった。砂浜に打ち寄せられたアイランくんの写真は、世界中のメディアで大きく伝えられた。男児はコバニ出身。過激派組織「イスラム国」(IS)と地元クルド部隊との激しい戦闘が続いた町だ。

同じ頃、コバニから逃れてきた、元アラブ系新聞社の記者で友人のフェルハッド・ヘンミさん(31)も、妻と幼い娘2人とともに、トルコから欧州へ向かおうとしていた。「ゴムボートで海を越える」。彼の電話を受けたのは、決行の数日前だった。危険すぎる、と私は言ったが、「ISがまた町を襲撃するかもしれない。転覆は怖いが、もう故郷には戻れない」と震える声で答えた。

フェルハッドさん一家の脱出行は20日に及んだ。戦火のシリアから逃れるため、トルコに有刺鉄線を越えて越境、ギリシャには闇夜にゴムボートで漂着した。その後、ヨーロッパ大陸を縦断しながら親戚のいるドイツにたどり着いた。

フェルハッドさん一家の脱出行は20日に及んだ。戦火のシリアから逃れるため、トルコに有刺鉄線を越えて越境、ギリシャには闇夜にゴムボートで漂着した。その後、ヨーロッパ大陸を縦断しながら親戚のいるドイツにたどり着いた。地図作成(2016):アジアプレス

しばらく連絡が途絶えた数週間後に「無事だ」とのメッセージを受け取った。トルコで4000米ドル(約48万円・当時)を、脱出を手引きするブローカーに支払い、闇夜に難民30人とボートに乗った。波打つ中、ギリシャ領の島を目指して進んだ。彼は娘たちを腕に抱きながら「神様、どうか助けてください」と祈り続けたという。ギリシャに上陸すると、バスや電車、徒歩でおよそ10日間かけて数カ国を縦断、親戚のいるドイツにたどり着いた。収容施設での審査を経て、滞在許可を取得した。

シリア・コバニから脱出、ドイツの難民収容施設にたどりついたばかりのフェルハッドさんの娘たち。(フェルハッドさん撮影:2015年9月)

シリア・コバニから脱出、ドイツの難民収容施設にたどりついたばかりのフェルハッドさんの娘たち。(フェルハッドさん撮影:2015年9月)

あれから約2年。今年8月、私はフェルハッドさんに会うためにドイツ西部へ向かった。小さな田舎町にあるアパートで、妻のマハさん(32)と幼い娘2人が私を迎えてくれた。

「明日の食料や命の危険におびえなくていい。安全な暮らしに日々感謝している」。マハさんはほほ笑む。当面は、アパートの家賃500ユーロ(約6万5000円)と、生活費1200ユーロが支給される。その期間に、言葉を覚え、仕事を得て自立することが求められる。娘たちは地元の幼稚園に通い、友達ができ、ドイツ語も話せるようになってきた。自分が難民になるなんて、10年前まで想像すらしなかった、と彼は言う。

欧州各地ではイスラム過激主義者のテロがあいついでいる。難民にまぎれてドイツに入り込んで殺傷事件を起こした者もいた。「助けてくれた国や人びとに憎しみを向けるなんて許せない。でもシリア人すべてがやっかいものとして見られるのは心苦しい」とフェルハッドさんは話す。

長女はまもなく小学校に入学する。先日、近所のドイツ人が、通学用にかわいらしいリュックサックをプレゼントしてくれた。心やさしい人たちがまわりにたくさんいることが、家族の支えになっているという。

最近は難民と近隣住民をつなぐ、アラビア語と英語の通訳ボランティアを始めた。いつかは社会に恩返しをしたいと願うフェルハッドさん。「私と同じような境遇の家族はたくさんいます。戦争で家族を失い、故郷を追われた人、欧州に渡る途中に海で溺れた子ども。シリアではたくさんの悲しみがいまも続いています」【玉本英子・アジアプレス】

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2017年9月5日付記事に加筆修正したものです)

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