2002年4月、トゥーロガウンの中心部にある10数軒の家が王室ネパール軍に焼き討ちをされた。2003年3月にタバンに滞在したときには、まだその残骸が残っていた。(2003年3月撮影 小倉清子)

2002年4月、トゥーロガウンの中心部にある10数軒の家が王室ネパール軍に焼き討ちをされた。2003年3月にタバンに滞在したときには、まだその残骸が残っていた。(2003年3月撮影 小倉清子)

 

マオイストの要求は無条件で受け入れる。それが、この村で生きていくための必須の条件のようだ。マオイストを通じてやってきた私も、彼にとっては"招かざる客"のはずだったが、家主は親切に面倒を見てくれた。

しかし、政府側治安部隊はマオイストと、そのシンパ、そして一般の村人を区別はしない。政府側にとっては、タバン村そのものが"マオイスト"なのである。マオイストを支持しようがしまいが、タバンの住人というだけで"掃討"の対象になる。

この教師もその被害者だった。1年前、国軍の治安部隊がタバン村に来たとき、教師とその一家も山へ逃げた。軍の部隊が45日間タバンに滞在したあいだ、老人と子供を除く村人の大半が家を離れて山へ逃げた。その間、軍は空き家のドアを壊して中に侵入し、食器や食べ物、衣服を奪うなど蛮行のかぎりをつくした。教師の家も例外ではなかった。

治安部隊は集落の中心にある10数軒の家に火をつけて壊しただけでなく、畑仕事に行こうとしていた3人の村人を拘束して殺害した。3人は全員がマオイストではなく、学校に通う生徒だった。
(つづく)


【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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