タバン村出身のマオイスト・リーダー、サントス・ブラ・マガールと彼の自宅。サントス・ブラは1981年のカティク・オペレーションのとき、学生リーダーだった。オペレーション時にはタバン村から逃れて、半年以上、近隣の山林で潜行生活を送った。サントス・ブラは現在、ロルパ選出の制憲議会議員である。(2006年3月 撮影 小倉清子)

タバン村出身のマオイスト・リーダー、サントス・ブラ・マガールと彼の自宅。サントス・ブラは1981年のカティク・オペレーションのとき、学生リーダーだった。オペレーション時にはタバン村から逃れて、半年以上、近隣の山林で潜行生活を送った。サントス・ブラは現在、ロルパ選出の制憲議会議員である。(2006年3月 撮影 小倉清子)

 

1990年に複数政党制度が復活して民主化が達成されたあと、パンチャーヤト時代には非合法だったさまざまな政党が、ロルパでも活発に活動を始めた。なかでもモハン・ビクラムの政党から分裂したあと、他の共産系政党と合併してできたネパール共産党エカタ・ケンドラが、タバンをはじめとするロルパの村々で党組織の拡大を試みた。

その過程で、あちこちの村で与党であるネパール会議派の支持者とのあいだで衝突が起こった。国家権力とつながりをもつ後者は、官憲を使ってエカタ・ケンドラの弾圧を試みた。このエカタ・ケンドラの一派が後に武装闘争を開始することを決めて、ネパール共産党毛沢東主義派、つまりマオイストとなるのである。
(つづく)

【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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