2003年3月に最初にタバン村を訪れたときに撮影した女性ゲリラ。顔を隠して撮影に応じてくれた。(撮影 小倉清子)

ジョバンサリの部隊のコマンダーを務めた"サビン"によると、ツァパマール部隊はミリシア部隊よりも広域で活動し、その役割も違っていた。
「ミリシアは村のなかだけで活動していましたが、ツァパマール部隊はロルパ郡北東部からピュータン郡北部にかけて活動をしていました。

私たちの敵であるスパイを罰したり、警官隊を襲撃したりする活動をしました。最初は3人のメンバーしかいませんでしたが、後に5人になりました。ジョバンサリはこの部隊を結成した当初から興味を示して、"女でも銃を持てる"と話していました。彼女は学校に行っておらず、読み書きは自分の名前が書けるくらいでしたが、体力があって、銃を持ちたいという強い意思があったために、ツァパマール部隊に入れることにしたのです」

ゲリラになってからのジョバンサリのことをサビンは次のように話す。
「当時はまだ、村に警察詰め所があったため、日中は隠れて、夜になると歩いて移動する毎日でした。バルワ・バンドゥク(自家製ライフル)やククリ(ネパール刀)、竹の棒が私たちの武器でした。当時、村の女性はルンギ(腰に巻く長い布)しか着ないため、ジョバンサリは男のようにズボンをはくことを恥ずかしがりました。

女性はジョバンサリ1人だけだったので、コマンダーの私はシェルターに着くと、まず彼女が寝るところをアレンジしたものです」

ジョバンサリは敵を殴るなどの活動には参加したが、警官隊への襲撃に参加する機会はなかった。
彼女がゲリラになって1年ほどたったときのことだった。サビンを補助する副コマンダーになっていたジョバンサリは、サビンらとともにミリシア部隊のメンバーに訓練をするために、タバン村の南に接するウワ村に行った。

ジョバンサリは小さな穴を抜ける訓練で、自分の自家製銃をつかんだときに銃が発砲、弾が彼女の頭に当たって死亡した。不運な事故としかいえない出来事で、ジョバンサリは23歳の短い命を終えたのである。
(つづく)


【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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