辛:そうだよね。みんな生きていくためにいろんな手段を使うからね...。でも、その中で、ハナはよく生き抜いてきたなぁ。
ハナ:私が最初にアドバイスを受けたのは、「絶対に田舎には行かないように」ということでした。田舎に入るとみんながみんな顔見知りだから、すぐバレるし、たぶんどこかに売られるよ、と。だから、人が多く、目立たない都市部にいなさい。都市部で、どんなにつらくても、転々と、転々と暮らした方が安全だよ、とアドバイスを受けました。

一斉検挙などがある点では都市部も危ないので、しばらく田舎に隠れたりもしたんですけど、普段はほとんど市内、都市部にいました。それが安全だと言われたので。もう絶対に捕まりたくない。それはどこの神様か分からないんですけど、たぶん私があまりにも捕まりたくないという気持ちが強かったので、分かってくれたのだと思います。危険な場面というのは何度かありましたが、そのたびに何とか逃げ切ることが出来ました。私、本当に運が強いなって思います。

辛:運が強いっていうか、意思の強さだな。
ハナ:周りで捕まっていく女の子を見たりしたから、私は絶対に嫌だ、絶対に捕まりたくない、捕まった日が私の死ぬ日だと思っていました。強制送還される日、私はそこで死のうと思っていました。

辛:ハナは北朝鮮にいたとき、日本語しゃべったりした?オモニ(母)もアボジ(父)も全く使わなかった?
ハナ:日本語を使うというのはほとんどなかったです。うちの祖母が「お皿」とか「お弁当」とか、たまに野菜の名前を知らなくて「ほうれんそう」とか、「にんじん」とか日本語で言っていましたけど、そういう単語、「たばこ」とかも、それが日常生活で普通になっていたので、私もそれが日本語だとは知っていました。でも、言葉として日本語を話すということはなかったですね。

一部の帰国者の家では、「外では絶対使うな」と釘を刺した上で、子どもに日本語を教えていたみたいなんですけど、私の家ではそういうのも全くなくて。家では日本の話も済州島の話もしないし、日本語も使わないっていう感じでした。それがものすごく徹底していて、「何でだろう」と今になって思うんですけど...。
(つづく)

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辛淑玉(シン・スゴ):東京都生まれの在日コリアン3世。人材育成コンサルタント会社代表。マイノリティやフェミニストの立場からの人権問題についての著作や発言多数。東日本大震災後、宮城県や福島県などの避難所を取材、女性や災害弱者の視点で感じた経験を、講演などを通して伝えている。

リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
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