総合市場として合法化された後の清津(チョンジン)市の市場。撮影者が手に持っているのは中国製の薬品だ。2004年7月撮影アン・チョル(アジアプレス)

 

2-2 当局の対応―市場の追認
工場などに勤める都市住民たちは、途絶した配給をただ待つのを放棄し、違法行為であった商売に精を出した。一方当局は、統制経済に戻すために市場の抑制に動き出した。といっても、代替する経済政策を打ち出すのではなく、取締りと弾圧で対応したため効果は一時的なものでしかなかった。政権はついに、商行為を制度的に追認していく。

2002年7月1日、金正日政権は、突如新しい経済政策を発表した。日付にちなんで「7.1経済管理改善措置」(以下、7.1措置)と呼ばれている。社会主義原則を守りながら、環境の変化に合わせて最大の実利を図るのが目的とされた。内容は次のようなものだった。

1.形式にすぎず実態を反映していなかった公定賃金と消費物資の国定価格 を、市場の実勢レベルに一律に引き上げる。
2.企業の裁量権を拡大し自立経営を促す。
3.拡大を続けてきた闇市場を閉鎖する。
4.食糧などの人民消費物資の流通を、再び国家による供給体系に戻す

企業に採算性を求めるなど、一部に改革的要素が見られたため、日韓の研究者、メディアの中に「北朝鮮式経済改革」と評価する意見が数多く見られた。しかし、実体は「経済改革」とは程遠いものであった。「7.1措置」は、食糧や消費物資を生産供給できる見込みのないまま闇市場を強制閉鎖したことから、闇取引が地下に潜ることになってハイパーインフレを発生させるなど大混乱を招いた。

南部の黄海南道海州(ヘジュ)市の総合市場の入り口。アーチや建物ができるなど施設が整えられたのがわかる。2008年10月撮影シム・ウィョン(アジアプレス)

北朝鮮当局は、うってかわって翌2003年3月に闇市場を「総合市場」に再編して商行為を合法化した。生産や流通、配給制度の正常化にめどが立たない中、成長を続ける闇市場を管理統制して、むしろそこから利潤を得ようしたものと思われる。「7.1措置」で一度闇市場を潰し、自分たちの都合のよい「市場ルール」に作りなおして「総合市場」に再編したと見ることができる。

こうして、全国各地にあった闇市場は、売り場を整え「総合市場」と名付けられて合法化された。商人たちは、場税(ジャンセ)と呼ばれる場所代を人民委員会の市場管理課に支払って営業することになった。商人たちはおよそ幅80センチの売り場の経営者となった。だが、男性は定年退職した老人以外は商行為が許されなかった。生産もままならず配給も出せないにもかかわらず、職場離脱を認めなかったのだ。

したがって商売人の大部分は女性、男性は引退した老人だけだった。女性たちにしても、職場を持つ者が「総合市場」で商いをすることは禁止され、「扶養」と分類される家庭の主婦のみが許された。そのため女性の商売には45歳以上など年齢制限を定めた。この年齢制限は、しばしば変更・撤回を繰り返したが、2016年7月時点では、女性の商行為に年齢制限はなくなっているようだ。

アパートの裏通りに所狭しと露店が並ぶ。女性と老人ばかりだ。電線が売られている。売られているのはほとんど中国製だという。2008年6月平安南道平城(ピョンソン)にて撮影ペク・ヒャン(アジアプレス)

 

総合市場で売られているものの大半は、食品類を除きほぼ中国製であった。国内の工場が生産機能を喪失しているところに、安価な中国製品が大量に流れ込んだだめだ。中国から輸入された品物は、まず物流拠点都市となった新義州(ルビ シニジュ)、羅先(ルビ ラソン)、清津(ルビ チョンジン)、平城(ルビ ピョンソン)などに運ばれ、そこから今度は地方へと卸売りされていった。逆に中国には、海産物や薬草材料、古鉄、古銅などが各地で集められて貿易会社を通じて中国に輸出された。この過程で、様々な役割分担、競争が生まれ、北朝鮮の市場経済は高度化、多様化していくのである。

市場経済というのは、単純に品物が行き来するだけではなく、サービス、運輸、不動産、情報、労働力などあらゆるものが商品として取引の対象になる。北朝鮮における多様な市場経済の展開について見ていくことにしよう。(続く)

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