監視カメラが急増したのは2000年になってから。鴨緑江に向けて可動カメラが越境を24時間警戒していた。2002年8月に吉林省の長白県にて石丸次郎撮影

◆越境者は延べ100万人超

97年から98年に行った、鴨緑江上流と豆満江一帯の渡河ポイントから選んだ17地点での調査では、次のような共通点があった。

1.越境者は97年から急増し、ほぼ毎日のように渡ってくること。98年に入ってからは1日に数十人単位で渡河してくる地点も多かった。
2.越境の理由はほとんどが飢餓であること。
3.隣接する咸鏡北道から来る人がもっとも多いが、北朝鮮のほぼ全域から人が出てきていること。
4.男性より女性の割合が多いこと。
5.越境者の大半は援助を受けると北朝鮮に戻る。

取材した17地点を含め、同じような条件の越境のポイントとなっている場所が豆満江沿いに少なくとも約50カ所、下流で川幅が広くなる鴨緑江沿いに約30カ所ある、と私は推定している。この計80カ所から1日平均1人ずつ渡ってくるとして試算すると、1年間にざっと2万9200人が中国に越境してきたことになる。1日10人だとすると、年間29万2千人。話半分としても14万人だ。98年のピーク時は、一つの村で1日40~50人という時期が続いていたというから、とにかく膨大な人数であったことは間達いない。

それではいったいどれだけの人が中国に越境し、そのうち北朝鮮に帰らず中国に残る人がどれだけいるのか、正確な数字は中国当局にも北朝鮮当局にもわからないはずだ。彼らはひっそりと闇夜に紛れて国境の川を渡り、中国でも朝鮮族に匿われて息を潜めて隠れ住んでいるからだ。

いわば「人民の海」のなかに潜っているのだ。非政府組織(NGO)による大規模な現地調査(後述)を参考に、私自身の現地取材の経験から、1995年から2002年までの間に中国へ越境した北朝鮮人は、これまで延べ100万人を超えると推測している。越境のピークは97年から99年である。

この膨大な北朝鮮からの越境者のすべてが中国に残るわけではない。国境沿いの住人によると、大部分は国境沿いの村人や親戚からの援助をもらうと再び北朝鮮に戻っていく。おそらく北朝鮮でおなかを空かせて待っている家族のためだろう。

また、中国当局の越境者取り締まりが年々非常に厳しくなり、また越境者が多すぎて中国側地元住民も援助できる限界を超えてしまい、時が経つにつれて中国に居場所を確保することが困難になっていることも、越境者が再び豆満江を渡って北朝鮮に帰っていく圧力になっているのだろう。

私は中国内でいまなお潜伏生活を送る北朝鮮難民の数を、これまでの取材等から、2002年7月の段階で少なくとも5万人、多ければ10万人を超えると推定している。
次のページ:難民、越境者、亡命者...

★新着記事