APN_watai_030506a.jpg【米軍の空爆で足を負傷したアベド・アルカリムさん(23歳)。足の切断手術をした直後だった彼は、病室でずっと泣き叫んでいた。(2003年4月11日 バグダッド市内北部 サウラ病院)】

私がバグダッド入りしたのは3月11日だった。米軍の攻撃が既に迫っていたにもかかわらず、妙に強気で、かつ陽気な人たちばかりが目につき、当初は戸惑った。

「最後はイラク軍が勝つ。米軍はバグダッドには入ることさえできないさ」
多くの人が笑いながら、そう話していた。
一方で「もし米国の攻撃が始まったら」と聞くと、あきらめのような答えが返ってきた。
「戦争が終わるまで家でじっと待つしかない。ほかにどんな方法があるんだ」

空爆を避ける手段だけでなく、生活のすべてにおいて「選択肢」というものがバグダッドの市民には、ほとんどないように見えた。独裁政権に対して、声を上げることもできない。外に向かって自分たちの本当の意思を伝えることも、イラクから脱出することもできない。
そして、唯一の逃げ場所だった彼らの家に、爆弾やミサイルが「無差別に」襲いかかったのがこの戦争だった。

空爆開始後、武装した市民が次々に街に現れたのを見て、彼らは首都の市街戦で米軍と徹底的に戦い、フセイン政権と心中するのではないかとも思った。そうなっていれば、想像もつかないほどの数の犠牲者がさらに出たはずだ。そうならなかったことだけは、よかったと思っている。
「フセインのために自分の命をささげる気にはなれない」。最後の局面でようやく、彼らは人間らしい「選択」ができたのかもしれない。
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