ハラブジャ化学兵器攻撃犠牲者追悼式典に参列したマハムード・ハマさん。攻撃では父親と親戚を失った。母はいまも化学ガスの後遺症に苦しむ。(2022年3月16日・写真:マハムードさん提供)

◆終わらぬ「ハラブジャの悲劇」

3月16日、イラク北東部のクルド人の町ハラブジャで、化学兵器攻撃の犠牲者追悼式典が行われた。34年前のこの日、フセイン政権下のイラク軍による化学兵器攻撃で5000人を超える住民が死亡した。ネットを通じて参加者に聞いた。

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今年の追悼式典は市内3か所で行われ、犠牲者の家族や地元政治家らが参加した。化学兵器攻撃があった午前11時35分、犠牲者を追悼し、黙とうが捧げられた。

 

犠牲者追悼式典でのパネル展示。毎年、3月16日にはクルディスタン地域全体で住民が黙とうを捧げる。(2022年3月16日・写真:マハムードさん提供)

 

式典に出席したマハムード・ハマさん(55)は、攻撃で父親や親戚を失った。

「この町では、34年が過ぎた今でも呼吸器系疾患や視覚障害の後遺症に苦しんでいる人たちが数百人もいる。高齢の母も化学ガスの皮膚疾患を抱えている。被害者たちへの十分な救済や支援もなされず、悲劇は終わっていない」と心情を打ち明けた。

化学兵器の悲惨さを身をもって経験してきたハラブジャの被害者たちは、長年、化学兵器の使用禁止を訴えてきた。しかし、現在も化学兵器を保有する国は存在し、シリア内戦では市民に対して化学兵器が使われた。

 

追悼式典の来場者ら。ハラブジャの悲劇は、今も人びとの心に刻まれている。(2022年3月16日・写真:ヒクメット・ファイードさん提供)

 

「どんな戦争でも化学兵器を使うべきではない。私たちが経験したあの惨禍を2度と繰り返してはならない」。マハムードさんは訴えた。(玉本英子/アジアプレス

 

1988年3月、化学兵器攻撃が起きたハラブジャ。当時のフセイン政権は化学兵器攻撃の事実を否定してきた。(資料写真・2006年・撮影:玉本英子)

 

ハラブジャ化学兵器攻撃
イラク・イラン戦争の末期の1988年、当時のフセイン政権は、ハラブジャの町を攻撃した。サリンを含む化学物質を搭載した爆弾により、子どもを含む住民5000人が命を落とした。町の人たちは、この化学兵器攻撃を広島・長崎の原爆投下になぞらえ、ハラブジャとヒロシマを重ねた「ハラブシマ」と呼び、心に刻んでいる。

 

攻撃では子どもを含む市民5000人が命を落とした。写真はハラブジャ市内の犠牲者追悼墓碑。(資料写真・2006年・撮影:玉本英子)

 

イラク・クルディスタン地域の東端に位置するクルド人の町ハラブジャ。被害者の救済や支援は立ち遅れてきた。(地図作成:アジアプレス)

 

化学ガスの後遺症でいまも皮膚、呼吸器、消化器、視覚の障害に苦しむ被害者は多い。(資料写真・2006年・撮影:玉本英子)

 

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