第3回 国王の軍とマオイストの軍
2001年11月、マオイストたちは、ついに王室軍を相手に武力闘争を開始した!!

 
  マオイストの本拠地ロルパ郡タバン村で会った人民解放軍の兵士たち。タバン村は彼らが樹立したマガル族の自治区の“首都”でもある。

マオイストの本拠地ロルパ郡タバン村で会った人民解放軍の兵士たち。タバン村は彼らが樹立したマガル族の自治区の“首都”でもある。

闘争の相手はあくまで警察だった
マオイストの表現を借りると、現在、ネパールを支配するのは「軍隊」をもつ2つの政治勢力である。一つは「シャヒ・セナ(王室軍)」をもつ国王、もう一つは「ジャナ・セナ(人民軍)」をもつマオイストこと、ネパール共産党毛沢東主義派。

マオイストは1996年2月に人民戦争を開始したが、2001年11 月まで、国軍である王室ネパール軍を直接の攻撃対象とすることはなかった。2000年9月に、ドルポ郡ドゥナイで最初の大規模襲撃を決行したときにも、警察施設のみを襲撃し、近くにある軍施設には手を出さなかった。

このとき、軍のほうも警察署が襲撃されていることを知りながら、救助に向かわなかった。この軍側の非協力に抗議して、当時のゴビンダ・ラジ・ジョシ内務大臣は辞任している。

当初、「農村から都市部を包囲する」という毛沢東の人民戦争の手法を踏襲していたマオイストは、村々にある警察詰め所を襲撃することにより、農村部から官憲を追い出すという戦略をとった。この戦略は成功し、農村部の警察詰め所は次々に郡庁所在地に撤退した。その結果、現在でも大半の郡では、郡庁所在地以外の村は官憲が存在しない行政の空白地帯となっている。

一方で、人民戦争を開始してしばらくのあいだは、マオイストがもつ主な武器は狩猟用の自家製銃がほとんどで、警官よりも高度な武器をもつ軍と戦えるような状況にはなかった。さらに、王室ネパール軍の実質的な指令権をもつ国王が、マオイスト制圧のために軍を発動させるのをしぶっていたこともあり、2001年7月に最初の停戦が成立するまで、マオイストの武装闘争の相手はネパール警察だった。
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