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人民戦争が始まってから約1年後に警察に殺されて、タバン村最初の犠牲者となったラリ・ロカ・マガール。党の女性組織のリーダーだった。(オンサリ・ガルティ・マガール提供)

人民戦争が始まってから約1年後に警察に殺されて、タバン村最初の犠牲者となったラリ・ロカ・マガール。党の女性組織のリーダーだった。(オンサリ・ガルティ・マガール提供)

◆ 第29回 タバン村で最初の女性ゲリラ(1)
タバンに来て5日目の夕方、タバン村の人民政府の長を務めるプラタプに連れられて3人の村人が部屋にやってきた。いずれも政府側に殺害された村人の家族たちだった。

3人のなかで唯一の男性である"ゴレ"は、背の低い物静かなマガールの中年男性である。ゴレはタバン村の党組織で長年活動をしてきたマオイストでもある。彼は人民戦争が始まってからタバン村で最初の犠牲者となった女性ラリ・ロカ・マガールの兄だった。

その後、何度もタバン村を訪れるなかで、私はゴレとは毎回会って、党とこの村に関するさまざまな情報を得ることになった。
ゴレのたった一人の妹であるラリが、村の警察所の警官に拘束されたあとに殺害されたのは、人民戦争が始まってから11か月たった1997年1月17日のことである。

この日、村では赤ん坊にポリオのワクチンを飲ませるプログラムがあり、ラリは村の保健所でこの仕事を手伝っていた。警官は保健所からラリを拘束し、村の警察詰め所に連行したあとに拷問をし、翌日、川原に連れて行って射殺した。このとき、ラリは25歳だった。
「彼女のことを良く思っていない村の誰かが、ラリのことをマオイストのリーダーだと告げ口をしたようだ」

警察がラリを殺害した理由について、ゴレはこう話した。
ラリとともに、もう一人の男性も殺害された。ゴレをはじめとするタバン村のマオイストは、1996年2月に人民戦争が始まってから、ときどき自分の家に戻ってくる半地下生活を送っていたが、二人が警察に殺されてから、44人の党員と支持者が自宅を離れて、近くの山や警官の来ない集落の支持者の家を転々とする完全な地下生活に入った。

この44人のなかには10人の女性が含まれていた。"ヨジャナ"ことラビキラン・ロカとジョバンサリ・ロカの姉妹もそのなかに含まれていた。

プラタプが連れてきたもう一人の犠牲者の家族がヨジャナだった。ヨジャナのたった一人の妹であるジョバンサリが、武装訓練の最中に銃の事故で亡くなったのは1998年11月11日のことである。
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