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空爆が続いていた03年3月から4月にかけて、 バグダッドで取材する海外メディアは、 空爆や 攻撃の標的を避けるためもあって、 使用する車 には、到るところに大きく「TV」の文字を表示していた。 (03年3月、撮影)

その「わからないこと」を、アメリカのテレビやインターネットの二次情報で補足してわかったかのような報道をしている。あるいは東京の本社から「こちらに入っている情報では...」とほかのメディアの情報を次々と付け足していく。ほかの情報を参考にするのはわかります。

しかし、実際には現場にいながら、現場からどんどん離れたところで記事やリポートを作るというのがいまの報道のかたちなのではないかと思います。

そうやって、伝える側も読者も、現地で何が起きているのかという実像が、よけいに混乱してわからなくなっていくのではないでしょうか。

自分で確認できないことは、はっきりと「まだ確認できません」と読者や視聴者に対していう方がまだ潔いと思います。

《独立系ジャーナリストたちの役割》
*野中 空爆下のバグダッドからリポートしたのは、ほぼ全員独立系のジャーナリストだった。戦争や国際報道の現場で独立系のジャーナリストの役割が大きくなっていることがはっきりわかるけど、その辺はどう思いますか。

*綿井 独立系のジャーナリストにも様々な考え方があると思います。
ひとつは、全くマスメディアが取り上げないテーマを追求している人たちです。イラクもアフガンも、まだ注目されない時期から長期的な取材をしてきたのはフリーのジャーナリストたちでした。

その一方で、マスメディアが取材に行っている現場であっても、フリーランスの視点によって、問題をより打ち出していくのも、いま非常に重要になってきたと思うんです。サマワの「自衛隊歓迎」の横断幕の件も、フリーの取材がなければそのまま伝えられていたわけです。マスメディアが伝えていることは本当なのか、実際はどうなのかという問題意識で、フリーの側が検証して伝えていく。

あるいは「別の視点」を伝えるということもフリージャーナリストの重要な役割ではないかと思います。様々な人たちが、様々な視点で切り取って取材して、そして読者が様々な視点の記事や映像を見ることができれば一番いいと思います。

今回ぼくは、攻撃される側から、バグダッドの一般市民の動きを見るということを考えました。3、4月の頃は戦争というより米軍の一方的な攻撃でした。むしろ、米軍イラク双方の死者が増え、武装勢力も抵抗している現在の状態が「戦争」といえる。3、4月の頃をバグダッド側から見ると、空から陸から爆弾が飛んでくる状態で、けんかにすらなっていない、ほとんどリンチでした。

イラク軍も最後には結局皆逃げ出している。「戦争」「テロ」「空爆」「侵攻、進攻」という言葉の使い方ひとつにしても、伝える側が主体的に言葉を選んでいかなければならない。ぼくはあの時「殺戮」という言葉を使いました。
この実感もイラク側で取材していたからわかることで、従軍取材やカタールでの周辺取材ではわからないことですね。従軍取材や周辺の国からの取材も現場ですが、重要なのはやはり「攻撃される側」「殺される側」の取材で、そこで何が起きているのかを伝える努力が報道の責務だと思います。(続く)