和平交渉が始まる
2001年7月に続くこの2度目の停戦があまりにも“劇的”な状況のなかで起こったために、ネパール会議派をはじめとする主要政党も「王室とマオイストに利益をもたらす極秘合意」の存在を疑い、「両者が停戦にいたるまでのプロセスを明らかにしないかぎり、和平交渉には参加しない」とする姿勢を打ち出した。

一方のマオイストも、「今回の交渉は“軍”をもつ2つの政治勢力、すなわち王室ネパール軍をもつ国王と、人民解放軍をもつマオイストのあいだで行うべき」と、主要政党を事実上、対話から排除するような発言をつづけたため、主要政党側のマオイストに対する疑いはますます強くなった。

すぐにも始まるとされていた和平交渉は、政府側対話団の発足が遅れたために、先伸ばしとなり、停戦からちょうど二月たった3月28日にマオイスト側の対話団がようやくカトマンズ入りした。党ナンバー2のDr.バブ・ラム・バッタライ率いる5人のマオイスト側対話団は、翌日29日にカトマンズ市内にあるビレンドラ国際会議場で、“お披露目記者会見”を開いてメディアの前に姿を現した。

この対話団のなかには、マオイストの武装闘争のブレーンとみなされていた “バーダル”ことラム・バハドゥル・タパもいた。ずっと地下に潜行していたマオイストのリーダーを一目見ようと、会場は大変な人出となった。

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