バスに乗って竏茶iリヤン郡タルマレ村に到着
2月25日、マオイストから突然「出発が決まった」という連絡を受けた。翌日午後に長距離バスでカトマンズを出発するのだという。当日、待ちあわせ場所のバス・パークにやってきたのは、いずれも20代の3人のマオイストだった。このうち2人はどうやらロルパ・ルクム方面の出身らしい。

停戦で、しばらくぶりに家に帰るところのようだった。もう一人は国家非常事態宣言発令後、発行が止まっているマオイストの機関紙の記者だ。バスは「サリヤン行き」だが、どこで降りるかは知らされず、目的地に着くまでは互いに知らない振りをするよう言われた。

 
  タルマレ村の民家で、病気療養中の女性マオイスト。スローガンを書いた赤いスカーフを、いつも頭にかぶっていた。

夜行バスに乗って22時間後、サリヤン郡のシュリナガルに着いた。食事をした食堂の女性が同行したマオイストの一人を見て、「3年半ぶりに生きて顔を見ることができた」と再会を喜んでいた。

約8ヶ月前、このバザールの近くにあるシタルパティ警察詰め所をマオイストが襲撃し、35人の警官を殺害してから、この村に警察官はいない。

マオイストは人民戦争開始以来、村部にある警察詰め所を次々に襲撃する戦略をとった。これに対して政府は、村にある警察詰め所を郡庁所在地に撤退させる政策をとった。そのため、郡庁所在地以外の村部は官憲が存在しない“行政の空白地帯”となり、マオイストがますます活動しやすい環境をつくる結果となった。

2002年半ばごろまでには、山岳地帯にあるほとんどの郡で、官憲が郡庁所在地のみにしか存在しない状況になっていた。

私たちはシュリナガルでバスを乗り換えて北に向かった。乾季のあいだだけ車が通れる狭い道は、ますます悪路となった。バスのなかで同行者たちは、「ここからはわれわれのアダール・イラカ(本拠地)だから」と、自らがマオイストであることを隠さずに話し出した。

5時間後、暗くなるころにバスはようやくサリヤン郡北東部にあるタルマレ村のカリボト・バザールに到着した。バスはここまで。ここから先は徒歩となる。ここに来て、私はようやく目的地のタバン村へはここからルクム郡へ入り、ルクムを東西に横切ったあと、ロルパ郡に入るのだと聞かされた。すべての行程が徒歩である。タバン村は行程の最後となる。目的地まで一体何日かかるかわからないが、ここで文句を言っても仕方がない。腹を決めて、彼らに従うこととした。
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