ベニ襲撃の話を聞く
会ったマオイストからなるべく多くの情報を得ておこうと、私は早速“イーグル”にインタビューを始めた。まずは前から興味をもっていた、今年3月のベニ襲撃に関して、質問を投げかけた。

マオイストがこれまで行った襲撃のなかで最大規模のこの襲撃に関して、私は3月と4月に2度、現場のミャグディ郡を訪れて取材をしたが、襲撃の詳細に関しては不明の点が多かった。

彼は当時の西師団に4つあった連隊がロルパのタバン村に集合して、ベニに向かったことを明らかにした。ベリ・カルナリ地区の第二連隊とセティ・マハカリ地区の第三連隊がベニの軍兵舎襲撃に、ロルパやルクムを含む「ビセス・チェトラ(特別地区)」にある第一連隊は、軍兵舎だけでなく、警察署と刑務所襲撃を行ったのだと言う。

これまでの襲撃でマオイスト側にとって最大の敗北となった、昨年9月のダン郡クスマ武装警察隊キャンプとバルワン武装警察隊キャンプに対する連続襲撃は、それぞれ第二連隊と第一連隊が行ったことも明らかにした。こうした基礎的な情報でさえ、カトマンズにいたのでは、なかなか手に入らない。(写真右:ガルティガウン村から北を見る。川をはさんだ右手の山の向こう側に師団指揮官“パサン”の出身地ランシ村が、山並みのずっと奥にイリバン村がある。)

イーグルの話から、ベニ襲撃後、“内部の事故”により死亡したと伝えられていたロルパ出身の第一連隊指揮官“パリバルタン”とともに亡くなったボディガードのハリ・プラサド・ガルティ・マガルが、このガルティガウン村出身であることもわかった。

党名“ヒラ”をもつボディガードは、3年前にこの村で樹立された最初の村人民政府議長になったが、その後、辞任して人民解放軍に加わったのだという。カピルバストゥ郡のシェルターで、“ヒラ”が持っていた手りゅう弾が誤って爆発し、近くにいたパリバルタンも死亡したのだとイーグルは話した。

党首プラチャンダは事故後、エリート部隊を率いる、31歳のこの若きコマンダー(指揮官)の死を悼む異例の声明文を出している。パリバルタンこと、本名ネプ・バハドゥル・K.C.は、ガルティガウンの先にあるイリバン村出身だった。生きていれば、師団指揮官の“パサン”“アナンタ”に次ぐコマンダーになったにちがいない。
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