人民戦争の最初の襲撃。爆発しなかった爆弾
(写真右: ロルパ郡第4地区で政府側から殺害された犠牲者の写真)
サンバトはマオイストのロルパ郡事務局メンバーだった。妻もDCM(郡委員会メンバー)だという。彼らの党内での地位からも、2人が古い活動家であることがわかる。コルチャバン村に着くまでの3時間のあいだ、サンバトは過去のさまざまな経験を話してくれた。

彼は、マオイストことネパール共産党毛沢東主義派が人民戦争を開始した日、1996年2月13日にロルパ郡南部にあるホレリ警察詰め所を襲撃したエピソードを語った。マオイストの最初の“アクション” だったこの襲撃を決行したのは、有名な指揮官“パサン”を含む40人ほどのグループだったという。現在33歳になる東部師団指揮官アナンタもいた。当時はまだ、人民解放軍も結成されておらず、ほとんどが20代のロルパの若者だった。
「当時、武器は自家製銃の“バルワ・バンドゥク”と、“ガグリ・ボム”(ガグリという水差しのなかに爆発物を入れ、導線を引いて爆発させる)しかなかった。しかも、ガグリ・ボムはうまく爆発しなかったんだ」

(写真右:“メラ”は学校対抗バレーボールの試合から始まった。)
サンバトは8年以上前の話を楽しそうに語った。最初の襲撃では、「人を殺さない」という党方針にもとづいて、警官をしばって銃などを奪ったあと、全員を解放したのだという。彼は人民戦争が始まる前の経験についても語った。

「ちょうど10年前、リバン(郡庁所在地)の高校に在学しているとき、自宅を放火したかどで2回逮捕されて、それぞれ1週間と3ヶ月間、拘置所に入れられた。拘置所のなかで試験を受けたこともあった。2回とも私は無実で、ネパール会議派の支持者が自分で火をつけて、私に罪をなすりつけたんだ」

彼の話は1990年の民主化から人民戦争が始まる前の数年間、ここロルパ郡とルクム郡で起こった何千というケースの一つにすぎない。マオイストの前身である政党「統一人民戦線ネパール(SJMN)」からのハラスメントに対抗して、ネパール会議派の支持者は、与党である強みを利用して多くの偽の訴訟を起こし、SJMNの支持者を排除しようと試みた。その結果、大勢の同党支持者が逮捕され、そして逮捕を恐れた大勢の人が村を離れた。この2つの郡で、マオイストになる主な動機である反国家感情が強くなった原因の一つが、与党によるこうした偽の訴訟にあったといっていい。
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