040907_02.jpg3000キロを大移動して、吉林省から雲南省にやってきた。
ここで本来は、白(ペー)族という少数民族出身のダンサー、ヤン・リーピンに会うはずだった。5月に北京で観た彼女の舞踊公演『雲南映象』がすばらしかったので、雑誌のインタビュー企画を通してやってきたのだ。

ところが、そのうちインタビューさせてもらう約束だけはだいぶ前にとりつけているものの、彼女はずっと全国公演中で暇なし。しかたないから、取材の周辺がためと自分に言い訳して、雲南をぷらぷらすることにした。

納西(ナシ)族と呼ばれる少数民族がつくりあげた古都・麗江(リーチャン)で、マツタケ王に会った。改革・開放が始まるとまもなく、マツタケを日本などに輸出する商売で成功し、50代にさしかかったばかりですでに悠々自適、引退の身だ。ヤン・リーピンの古くからの友人でもある。
「ヤン・リーピンに会うんじゃったら、去年に来いっちゅうんじゃ!」
――はあ。

「去年、SARSで公演が全部キャンセルになったとき、どーれだけ大変だったか!『雲南映象』があたると、みんな急にちやほやしとる。まったく、アンタら新聞だとかテレビだとかやる人間っちゅうのは」
会ったときにはすでにほろ酔い加減。テンションが高い。自宅の広い中庭のひじ掛け椅子にすわり、ナシ族なまりの中国語で、独演会が始まった。

「えーか、この世には花がたくさん咲いとるわな。花のところにみんなで集まるのもええ。じゃけど、いい仕事っちゅうのは、花咲く前の、いい根っこを見つけることじゃないんかね」
――うう、おっしゃるとおりで。でも、私はまだ中国を歩き始めたばかりなんですよ。そのうち、この国をもっと理解できるようになって、自分で「根」を見つけることもできるにようになりたいですよ、そりゃ。
「ま、そじゃな。がんばりや」

――ご商売は、おいくつのときに始められたんですか。
「31。遅いスタートじゃわな。オレらのときは文化大革命があって、しばらく下放で山のなかに送られとったけえな。学問なんか、文化なんか、勉強なんかくそくらえという時代じゃったけえ、16のときに学校はやめざるをえんかった」
――続けたかったですか、勉強。

「そーりゃ、続けたかったわ!めちゃ賢かったんじゃ、オレは!」
「オレらの世代は、子供のときは大躍進とかあっていっつもお腹すかしとって、思春期になればなったで文革で、言ってみれば一番かわいそうな世代じゃわ。だけどまあ、振り返ってみれば失ったもののかわりに、得たものもあるんよ。こんなこと言ったら、なんでもそうかもしれんけどな。

アンタの国はその点、戦争に敗けてからずっと教育に力を入れて、国を発展させた。そこらへんえらいと思うけど、それでも、得たもののかわりに失ったものも、けっこうあるんじゃないかね」
マツタケ王の知っている日本語は「マツタケ」の一語だけだが、商売を通じた日本人との長いつきあいのなかで、この人なりの日本に対する理解と見方を培ってきたようだ。

「ずいぶん稼がせてもらったよ。損もいっぱいしたけどな。商売人的に言うと、日本人のやりかたの問題はふたつかな。ひとつは、上から許可をもらうまでは動けんこと。スピードがもの言うことも多いからな。もうひとつは、古い関係に固執すること。まず日本人が昔からの知り合いの台湾ブローカーに頼んで、台湾ブローカーのそのまた知り合いの香港ブローカーに話しをしてもらい、それからやっとオレのところにくる、なんてこともよくあった。一対一でやれば、もうけも一番多いのにな」
「ところで、アンタのその仕事ってのはどうなんかね」
矛先がまたこっちに向いてきた。

「うちの娘も、雇われ仕事でドキュメンタリーを撮るとか言ってバタバタしとったが、なんやらくたびれ損じゃわな」
――まあやっぱり、表現するってことは苦しいけど、他のものにかえられない楽しさがあるんじゃないんですかね。

「そりゃそうじゃ。オレだって書道もする、文章も書く。踊りたいときは勝手に踊りもする!そりゃ楽しいわな。じゃけどな、カネのためにやるのはつまらんよ。とたんにつまらなくなる。カネ稼いで飯食うんだったら、商売が一番だ!」
――うーん、なんか説得力はありますが。

「そうじゃろう。アンタ、日本でマツタケ売る気になったら、いつでもオレのところに連絡してきんさい。あんまりでかい商売は考えなくてええ。2万ドル、3万ドル規模で始めればええんじゃ。アンタがオレを信用し、オレがアンタを信用するなら、ブローカーなんて立てなくてええわな」
――ははは。ありがたく、考えさせていただきます。
マツタケ王はどうやら、隠居の身が性に合わないらしい。また何かを始めたくて、とにかくうずうずしているのだった。
(8月26日)
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麗江の朝ごはん。手前は涼粉(リャンフェン)と呼ば
れる、緑豆の粉でつくったところてんのような食べ物。
これを冷やしかためて麺状に切ったものは中国の
いろいろなところでみかけるが、熱涼粉といって熱々
に溶けた状態で「ババ」と呼ばれるしょっぱいパン
(写真奥)につけて食べるのは麗江ならでは。3元
(約45 円)。旅行者の増加で、物価があがってい
るそうだ。
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毎晩、古典音楽を演奏している「大研納西古楽会」。
都から遠く離れていたにもかかわらず麗江ははや
くから漢化が進み、その後、漢代の古楽がほかの
地域よりも完全なかたちで伝承されてきたという。
音楽以上に、文革を経て復活した、年老いた演奏
者たちのたたずまいに何となく感動。
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石畳の路地に水路が流れる麗江。屋根瓦の街並
みは少し日本の古い街を思い出させる。