【ルクム郡ルクムコット村で、インド製ライフルをもつ女性兵士】

【ルクム郡ルクムコット村で、インド製ライフルをもつ女性兵士】

その後、クランティとはルクム郡ルクムコット村で、同じ部屋に宿泊したこともあり、個人的なことも含めて、いろいろな話をする機会があった。

現在、31歳のクランティは、ロルパの北に隣接するルクム郡の最高峰シスネ山のふもとにある村に生まれ育った。
彼女の家は、村のなかでは裕福な家庭であったが、「どうせ嫁に行く娘を学校にやっても仕方がない」という当時の一般的な考えのため、初めて学校に行ったのは14歳になってから。5年生に入学した。

それも彼女の意思で、母親は娘が学校に行くのを許さず、見つかって殴られたこともあったという。
11歳のときには、親に無理やり“婚約”をさせられそうになり、「結婚をするくらいなら、自殺する」とかたくなに拒んだエピソードを話してくれた。
その後、クランティは15歳のときに、マオイストの“詩人”クリシュナ・セン(以前にも書いたが、2002年に拷問死した)の影響を受けてコミュニストになった従兄弟により、党の女性組織の書記にされた。

クランティは16歳のときに、現在の夫である“ラクシュミ”ことガネシュ・マン・プン・マガルと会っている。
二人はすぐに恋に落ちた。ラクシュミは当時、ルクム郡の党の学生組織のリーダーだった。
2人は1996年、マオイストが人民戦争を開始してすぐに結婚をした。

このとき、クランティは20歳だった。
今年1月、暫定立法府が樹立されたとき、クランティは党に任命されて議員となった。
初日の議会を見に行ったとき、天井が高い国会議事堂に、おそろいのグレーのジャケットを着たマオイスト議員のなかに、クランティの姿を見たときには、あの迷彩服姿のクランティとはまるで別人のようで、大きな感慨を受けた覚えがある。

クランティの夫ラクシュミはマオイストの人民解放軍第三師団のコマンダーから、青年組織ヤング・コミュニスト・リーグの会長にばってきされた。
二人は、ロルパやルクムではよく見られるのだが、夫婦とも10歳代から党活動に身をゆだねた“古参マオイスト”の典型的なカップルといえる。
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