水かけ祭り(下)

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ  ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署  名を「宇田有三」に統一します。
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【水かけ祭りが終わる。経済的に豊かでない地区であっても僧侶を迎えてビルマ新年を迎える】
40代以上の人に以前のビルマお正月のことを聞いてみた。

誰もが民主化デモ(1988年)以前のお正月が懐かしいという。
当時のお正月は、必ず、水かけ祭りとタンジェ・ピャイン・ポエという漫才喜劇の競演がセットになっていたのだという。
「サービスが悪い場所をビルマでは病院というのだよ。また、ビルマでは薬を置いていないところを病院ともいう」
90年頃までのビルマは社会主義国だった。

交通機関にしろ病院にしろ、ほとんどが国営。
そのため、そのタンジャで日常生活の不便を面白おかしく演じると、どうしても政府の活動を揶揄・批判することになっていた。
だが、88年の民主化デモ以降、そのタンジャは禁止された。

でも、さすがに水かけ祭りだけは禁止できない。
生活の不満のもうはけ口がなくなってしまうからだ。
水かけ祭りでは、この時とばかりに羽目を外す人も多い。

飲酒運転・ノーヘルメット・道路の逆走行。
若者は、男女とも巻きスカートのロンジーを脱いでジーンズをはき、パンクの格好をして狂ったように踊る。
マンダレーはラングーンと違って市内でもバイクに乗ることができる。

そのため、車・バイク・人が入り乱れて身動きできない状態になる。
それなのにますます人では増える。
動けなくなった車の運転手は、車の鍵を抜いてその場からいなくなる。
ますます渋滞に拍車がかかる。

軍事政権のもっとも嫌う無秩序状態に陥る。
はしゃぎ回っている者の多くは若者だ。
だが、ときに家族連れの姿も見られる。

バイクに5人乗りしている一家もいる。
運転手はお父さん。お父さんは前に子どもを抱えて運転。
その後ろにはお母さん。お母さんの前後に子どもが2人。

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