ビルマ潜入紀行  ~東南アジア最後の軍事独裁国家からの報告~(30)

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ  ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署  名を「宇田有三」に統一します。

DSC_9259apn

【ビルマとタイの国境の町(タイ側)に働きに出る労働許可を持たないビルマ人の多くは、不法就労で国外退去されても、繰り返しタイに戻ってくる。「まとも な仕事がないビルマよりも、まだここで働く方がましだよ。逮捕? そんなの怖がってられない」とゴミ捨て場で働くビルマ人男性は言う】
2007年9月末、ラングーンで広がった僧侶の行進を取材しようとしていた現地のビルマ人記者の動きは、完全に当局によって抑え込まれた。

25人ほどいる外国の報道機関に所属している現地通信員のうち5人に携帯電話で連絡を取ったが、全く通じなかった。
また、僧侶の行進やそれに続く市民の抗議デモの映像の多くは、デモの参加者がデジタル機材で撮影したものであった。
彼らは、その映像をインターネットを通じて世界に発信した。

抗議デモが終結した直後にビルマ入りした私は、ラングーン市内のホテルで、僧侶を中心とする市民デモの映像を繰り返し見た。
放送の多くは、今回のデモが燃料費の値上げによって突然起こったように報じているのが多かった。
1988年のデモから19年ぶりにビルマ(ミャンマー)でデモが起こった、と。

だが、この間、ビルマ国内では、政治的な動きはいくつもあったのだ。
1996年、97年の学生デモや2003年5月の「ディペイン(虐殺)事件」などが起こっていた。ただ、国際メディアがそれを継続的に伝えてこなかっただけである。
次のページへ ...

★新着記事