「龍城事件」の罠にはめられた幹部とその親戚らは無実が明らかとなり出所する一方で、彼らを送り込んだ者たちは逆に収容されることになったのだ。
私の父はこの事件とは関係なく、個別事案で「革命化」にかけられ収容されていたのだが、その処理を担当した安全部の幹部が「龍城事件」の陰謀に加担した悪者であったということで、自動的に解除されることになった。
「革命化」の解除が、実際の事件の解明によるのでなく、担当した人間の境遇によって左右されるのだ。まったく、こんなでたらめな判断が可能なんて、朝鮮以外にはありえないのではないか。
(つづく)

注1 反民生団事件 一九三三縲恷O四年、旧満州では朝鮮人共産主義者たちが抗日活動をしていたが、日本帝国主義者は「民生団」という朝鮮人傀儡組織を作って自らの手先とした。抗日闘争グループ内に潜入した「民生団」員を捕まえるという名目で、抗日闘争グループ内で粛清劇が始まった。この過程で罪もない人が逮捕され殺されるという悲劇が起こった。これが「反民生団事件」である。
このように、政治目的により罪のない人を捕まえることを、北朝鮮では「反民生団」闘争に例える。
注2 蔡文徳 一九九五年一一月に社会安全部政治局長(上将)、二〇〇〇年四月に政治局長を解任され、処刑されたとの説がある。
注3 徐寛熙 一九八一年六月、政務院農業担当副総理兼農業委員会委員長に就任し、一九八二年二月には党中央委員会農業担当秘書に就任したが、一九九七年九月、スパイ容疑により平壌市楽浪区域で公開銃殺された。
注4 皮昌麟 一九五六年五月党中央委員会副部長に就任、一九七〇年一一月には党中央委員会委員、一九八五年九月には農業科学院副院長に就任するが、一九九七年九月スパイ容疑で処刑された。
注5 金萬金 元副総理兼党政治局候補委員、一九八四年一一月死亡。
注6 徐允錫 二〇〇〇年死亡と推定。
「徐寛熙」の「熙」の字は、一部のOSやブラウザだと見えないことがあります。「熙」は元韓国大統領パク・チョンヒの「ヒ」の漢字と同字です。

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