これらの措置を承認して「方針」を出し、「苦難の行軍」を陣頭で指揮していた金正日将軍様は、予想を超えて深刻な広がりを見せパニックのようになった事態に不安を感じ始め、「これから私は誰と一緒に革命をすればいいのか。もう一度調べ直せ!」と不満をぶちまけたと言われている。

隣人の不幸を眺めながらも、自分の保身しか考えていなかった保守的な金正日の側近たちも、中央党の幹部が次々に捕らえられていく様子を見て、自分たちもやばいのではないかと、不吉な予感に苛まれ始めた。

ちょうどその頃、金正日が再調査を命じたので、新たな提議書が金正日に上程されて、「調査過程をより深化させよ」との新「方針」が下され「深化組」が組織された。調査が「深化」した結果、事態は一転し、社会安全部の捜査の矛先は、逆の方向に向かい始めた。
こうして、蔡文徳の下で「龍城事件」を操っていた者たちが、次々とあちこちの管理所に送られるという事態に発展したのである。

安全部の「深化組」が調査した結果、蔡文徳が「方針」を受けて繰り広げた「米国スパイ団事件」は、すべてでっち上げだったという事実が明らかになった。
安全部の内部で「龍城事件」に巻き込まれる側に立たされまいと、なりふり構わず奔走していた事件の首謀者たちは、完全に足元をすくわれた格好となった。
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