とすれば、そこへ米国や南朝鮮が、過去にスパイやゲリラ、特攻隊を派遣していたことは充分にありうることだ。
朝鮮戦争から半世紀が経っている上、その間、二〇数回にわたって、朝鮮では住民登録事業を実施して、ほんの少しでも疑わしい者は、そのいとこ、はとこに至るまで根こそぎ処罰してきたにもかかわらず、朝鮮戦争当時に派遣されたスパイの「残党」の存在が、金日成主席の死亡した後の一九九〇年代中頃になって「発覚」し、これに関わったとされる党や国家の大物たちが次々にスパイとして「摘発」されていった。これがいわゆる「龍城事件」である。

当時、龍城区域の住民登録課が関係者の住民登録に関する記録を再確認したところ、「履歴を詐称し今も潜伏を続けている者が大量に発覚した」のである。この功績により、住民登録課長は「英雄」の称号まで受けた。

この事件を大がかりなものに仕立て上げるにあたって、安全部(現在の保安省)の実力者たちは、自らの出世のチャンスだと考えて関与した。
それを背後で操っていた大物が、当時の社会安全部政治部長の蔡文徳(チェム・ンドク)(注2)であった。この男が「龍城事件」に関する指揮権を握り、大々的に捜査を展開したのだ。

当時の社会安全部長は別名『ペクお爺さん』と呼ばれていた白鶴林(ペク・ハンリム)だった。最高指導部は、まともに出勤もできない年寄りの白を部長に任命しておいて、実権は野心家の蔡文徳に握らせていたといわれる。
過去に一度粛清されたことで政治的復讐心を抱いていた蔡文徳は、この「龍城事件」をでっちあげる提議書を作り、将軍様に上申し、「方針」を受けたのだった。
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