Q:顔などは洗えたんですか?
A:私が入った頃には水がなくて、一週間に一回位しか使えませんでした。しばらくしてバケツで豆満江の水を持って来るようになり、数日に一回位、顔を洗えるようになりました。毎日はできません。

Q:拘留場で死んだ人はいましたか?
A:拘留場で死ぬ人はそんなにいません。いくら食事の量が少ないとはいえ、生きていられるくらいの栄養は摂取できましたから。教化所の監獄に行って死ぬ人は多かったです。

Q:六ヶ月の拘留場生活で一番辛かったことは何ですか?
A:自由がまったくないこと。それから病気になっても治療もしてもらえなかったことです。
ある時、弟が死んだというショッキングな知らせがありました。それに子供に会えない辛さが重なって、熱が四〇度まで上がってご飯も食べられず水も飲めず、四日間寝込みました。
この時が辛かった。薬も飲めずに。

Q:病気のときには拘留場の中で横になったりできますか?
A:殺されてもいいというぐらい覚悟がないかぎり、自分の意志で横になんてなれません。「起きろ!」と命令されたら起き上がらなければ、同じ房の全員が一緒に処罰を受けるので、その人たちのためにも横になれないんです。

Q:以前送還された時は、労働鍛錬隊に入れられましたよね。そこでは殴打はありませんでしたか?
A:私は殴られませんでしたが、男性が殴られるようなことは多かったです。

Q:座ったり立ったりする処罰(スクワットのようなもの)もあると聞きましたが。
A:拘留場でもあるといいますが、私はそのような処罰は受けなかったです。
世界が朝鮮の「人権蹂躙」の問題で騒いだので、あんまりそのような処罰をしなくなったと言っていました。「人権蹂躙」という言葉は、看守たちが使っていました。いくら囚人だと言っても反抗する時があるのですが、「人権蹂躙」の問題があるから殴らないと看守がいうのです。
上部からの指示だと思います。それでも殴るときは殴りますけど。

Q:李仁模(リ・インモ)老人の話が広まっているといいますが、本当ですか?(注1)
A:本当です。私も実際のところどうなのかわかりませんが、その噂は聞いたことがあります。
李仁模が、自分が南朝鮮の監獄にいた時も、朝鮮みたいに酷くなかったから今まで生きていられたと言ったということです。
それが本当かは知りませんが、その後、監獄内で暴力問題は少し減って待遇もちょっとは良くなったそうです。
(つづく)
注1 李仁模は北朝鮮の朝鮮戦争の従軍記者。一九五二年に韓国側に拘束され非転向のまま三四年間の服役の後釈放、九三年に北朝鮮に送還された。
その李仁模が北朝鮮の教化所などの拘禁施設を視察して「南の刑務所はここまでひどくなかった、待遇改善が必要だ」と金正日総書記に訴え、金総書記が改善を指示した、という噂が北朝鮮では広く話されている。二〇〇七年に八九歳で死去。
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