Q:判決が下された時は目の前が真っ暗だったでしょうね。
A:心臓が止まるかと思いました。川一本向こうに置いてきた子供のことが思い出されて、罪でもない罪で監獄に行かされるのかと思うと心臓が止まりそうでした。

Q:何年だと予測していたんですか?
A:私は教化所に送られるとは思ってなかったんです。以前は、(単純な)「渡江」者は教化所に送られなかったから。けれど、今回の経験で分かったことですが、厳しくなりましたね。私みたいな「渡江」者も教化所に送り、まだ公民ではない一八歳未満の子も教化所に送られていました。以前はそうではなかったのですが......。

教化所へ
Q:判決が出てから、甑山(ジュンサン)までどのように移管されたのですか?
A:列車で護送されます。保安員が同時期に判決が下された女性三人を連れて行きました。三人とも「渡江」者です。一人は一年六ヶ月の判決を受けて、私は二年、もう一人は七年でした(「渡江」以外の罪にも問われたと思われる)。

Q:甑山まで距離はずいぶん遠いはずですが。
A:列車で二日かかりました。まず价川まで二日かけて行って价川教化所に二〇日間収監されてから甑山に送られました。列車の中では保安員と手錠に繋がれたまま寝ました。

Q:逃亡しようとは思いませんでしたか?
A:何十回も考えましたよ。でも走っている列車からは飛び降りることもできないし、常に手錠をつけていましたからできませんでした。

Q:用便はどうしましたか?
A:保安員が便所の入口まで付いてきて、手錠を外し用が終わったらまた手錠をつけます。逃げようにもチャンスがなかった。

Q:六ヶ月も拘留場にいたわけですが、栄養失調にはなりませんでしたか?
A:中国でたくさん食べていたせいか、それはなかったですね。

Q:体力がありますね。さて、甑山ですが、そこはどんな所ですか?
A:甑山教化所は農作業(稲作)をさせられるところです。背後は海と貯水池で、前は田圃ですから、逃げることもできません。甑山は春の海風がきつくて二月、三月頃が一番寒いです。
(つづく)
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