◆病院に運び込まれる死体続々

特集[2012黄海道飢饉]記事一覧
(2) 黄海道の民衆の証言(リ・ジンス 石丸次郎)

7月に黄海道現地に入ったアジアプレスの北朝鮮内部の取材記者・具光鎬(ク・グァンホ)氏は、農村の様子を次のように語った。

「訪れた黄海南道の海沿いのある農村では、辺り一面に草が全く見当たらなかった。例年この時期にはヨモギ、セリ、ナズナなどが生い茂っているはずだが、生えてくるそばから皆食べてしまったと、現地の住民から聞いた。

この時は、村の人口の80%は1日2食以下で生活していたという印象だ。村人たちは、4月から5月にかけてかなりの人が死んだと言っていた」。

(参考写真)黄海北道の沙里院(サリウォン)郊外の農村。補修もままならずうらぶれた家を、子どもが一人で留守番していた。2007年10月 李準(リ・ジュン)撮影。

(参考写真)黄海北道の沙里院(サリウォン)郊外の農村。補修もままならずうらぶれた家を、子どもが一人で留守番していた。2007年10月 李準(リ・ジュン)撮影。

 

黄海南道◆◆郡の郊外で病院経営に携わるというパク氏の証言も、今年に入って餓死者が続出したことを確認させるものであった。中国には出張で来たという彼は、病院の様子をこう振り返った。

「1月、2月と、それから5月が悲惨な有様でした。毎日、病院に死体が運び込まれてきました。周辺で行き倒れになったコチェビ(浮浪者)たちです。多い日には、一日に3体、4体も運びこまれて来るんです。

その度に葬式を出す訳にもいかないので、死体が10体集まると合同で葬式を出すのですが、それでも週に2、3回は葬式を出していました。火葬するた めの薪も、お棺を作る材木も無いので、ただムシロに包んでトラックに載せて、郊外の空き地に穴を掘って埋めるだけです。墓標も何もありませんよ」

労働党の中堅幹部だというキム氏とも会うことができた。人目を気にする彼から話を聞いたのは吉林省のある都市のホテルの一室。キム氏は、黄海南道一帯の農村で、党の方針を伝える任務を担っていると自己紹介した。

「5月から6月にかけて訪れた農村は、目を覆いたくなるような状況でした。何も食べ物がないんですから。老いた親を追い出したり、子どもを捨てたりというのも珍しいことではありませんでした」

こう述べた後、キム氏の口から出たのは、あまりにショッキングな事件についてであった。

「黄海南道の農村をくまなく回りましたが、最も悲惨だったのは青丹(チョンダン)郡です。あそこではいったい何割の人が死んだかわかりませんよ。青丹郡の花陽里(ファヤンリ)という村では、空腹でおかしくなった親が子を釜茹でして食べて捕まる事件がありました」(続く)

(参考写真)赤ん坊を背負った女性がトウモロコシ畑で落ちた実を拾っている。(2008年10月殷栗郡 シム・ウィチョン撮影)

(参考写真)赤ん坊を背負った女性がトウモロコシ畑で落ちた実を拾っている。(2008年10月殷栗郡 シム・ウィチョン撮影)

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