特集は【14回にわたる連続2部構成】です:
◆第1部「ヤズディ(ヤジディ)の習俗、文化、迫害の歴史」(1~7)>>
◆第2部「イスラム国侵攻後のヤズディ居住地現地取材と女性拉致被害」(1~7)
【第2部】(1)
(本稿は「【第2部連載】イスラム国(IS)侵攻後のヤズディ居住地現地取材と女性拉致被害」)
8月、イスラム国は、イラク北部のシンジャル地域のヤズディ教徒(ヤジディ教徒)の町や村を制圧。殺戮が始まり、住 民の大量脱出があいついだ。幹線道をふさがれ退路を絶たれた5万人は、山に逃げ込んだ。米軍は「虐殺を阻止する」として、イスラム国に対する空爆を開始す る事態になった。クルド部隊に同行し、イスラム国の前線があるシンジャル地域に入り、いまも包囲下にあるヤズディ住民の状況を取材した。集団殺害、女性拉致、数万の避難民。ヤズディ教徒の町で何が起きたのか。殺戮と迫害にさらされる人びとの姿を、連載で写真報告する。(取材:玉本英子)(メディアでは「ヤジディ」と表記されていますが、本稿では本来の発音に近いヤズディとします)
第1回 ◆イスラム国の侵攻と迫害の開始

イスラム国が襲撃する1か月半前のシンジャル(クルド名シェンガル)の中心部。クルディスタンの旗が見える。クルディスタン地域政府からは100キロ以上離れた行政管轄外の場所だが、クルド系住民が多いことから地域政府がクルド兵ペシュメルガを派遣するなどして防衛していた。8月、イスラム国の攻勢に治安部隊は撤退し、町は陥落した。(6月中旬・ハッサン・オメル撮影)

イスラム国が襲撃する1か月半前のシンジャル(クルド名シェンガル)の中心部。クルディスタンの旗が見える。クルディスタン地域政府からは100キロ以上離れた行政管轄外の場所だが、クルド系住民が多いことから地域政府がクルド兵ペシュメルガを派遣するなどして防衛していた。8月、イスラム国の攻勢に治安部隊は撤退し、町は陥落した。(2014年6月中旬・ハッサン・オメル撮影)

6月にニナワ県の県庁都市モスルがイスラム国に制圧された。タラファルなど近郊の町からはトルコ系のシーア派住民らが、迫害を恐れシンジャルに避難していた。しかし、それから2か月後にはシンジャルも襲撃されることになる。写真は6月、避難民であふれるシンジャル市内の病院。(6月中旬・ハッサン・オメル撮影)

6月にニナワ県の県庁都市モスルがイスラム国に制圧された。タラファルなど近郊の町からはトルコ系のシーア派住民らが、迫害を恐れシンジャルに避難していた。しかし、それから2か月後にはシンジャルも襲撃されることになる。写真は6月、避難民であふれるシンジャル市内の病院。(2014年6月中旬・ハッサン・オメル撮影)

シンジャル地域はクルディスタン地域政府が治安警備を担い、周辺のニナワ県一帯はイラク政府軍が管轄していた。写真は町の警備をしていた治安部隊。後に座り込んでいるのは、近郊から避難していたトルコ系の住民など。イスラム国の侵攻で治安部隊とイラク政府軍が敗走したため、シンジャル地域の住民は取り残される形となった。(6月中旬・ハッサン・オメル撮影)

シンジャル地域はクルディスタン地域政府が治安警備を担い、周辺のニナワ県一帯はイラク政府軍が管轄していた。写真は町の警備をしていた治安部隊。後に座り込んでいるのは、近郊から避難していたトルコ系の住民など。イスラム国の侵攻で治安部隊とイラク政府軍が敗走したため、シンジャル地域の住民は取り残される形となった。(2014年6月中旬・ハッサン・オメル撮影)

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