軍政前期の独裁者は、「ビルマ式社会主義革命党」(「Burma Socialist Programme Party」を「Myanmar Socialist Programme Party」と変更した。(2009年8月The light of Myanmar紙)

軍政前期の独裁者は、「ビルマ式社会主義革命党」(「Burma Socialist Programme Party」を「Myanmar Socialist Programme Party」と変更した。(2009年8月The light of Myanmar紙)

ネウィン将軍という軍政前期の独裁者は、ビルマ式社会主義革命党という一党独裁の政治体制を敷いていました。その体制を率いていた「ビルマ式社会主義革命党」は「Burma Socialist Programme Party(BSPP)」と言い表されていました。でも、軍政はその表記を「Myanmar Socialist Programme Party(MSPP)」と、「B」を「M]に変更してしまいました。これは史実の改ざんといってもいいでしょう。

また去年、ヤンゴンにオープンしたばかりのオシャレなカフェ&レストランを訪れた時、同じような話がありました。そのお店は「ラングーン・ティー・ハウス(Rangoon Tea House)」という名前なのですが、誰もが目にすることができる店の外の看板には「RTH」とありました。「Rangoon」 という文字は入れることが出来なかったとオーナーが話してくれました。(店内ではRangoon表示は許されている)

まるで、小説『ビルマの竪琴』を『ミャンマーの竪琴』にするみたいなものです。軍政時代を引きずっていた民政移管後のテインセイン政権(2011年~2016年)はそこまで、「ミャンマー」呼称で国家意識を一つに推し進めていたのです。

Q. 軍政時代からの社会的背景があるから、「ロヒンギャ民族」「ロヒンギャ人」という言葉の使用は控えた方がいいということですね。
A.私はそう思います。(つづく)

 

 

宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。

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