シャン州タチレクでのデモ。(2021年2月11日・SKM撮影)

国軍によるクーデターに対する国民の抗議活動はさらに盛り上がりを見せており、軍事独裁の終焉、2008年憲法の廃止を叫ぶまでになっている。あるミャンマー人は、現在の状況が1988年の民主化運動に酷似しているという。(赤津陽治・アジアプレス)

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◆1988年の民主化運動とは

ミャンマーで1988年に起きた民主化運動は、ビルマ社会主義計画党による一党独裁体制を打倒し、民主化を求める国民的な運動だった。現在のように、多くの学生や市民、公務員、さらには軍人たちが抗議活動に参加した。

革命が成就するかに見えたとき、国軍がクーデターを起こし、全権を掌握した。そして、複数政党制選挙の実施を約束し、1990年に総選挙が開催された。国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、国軍は「権力の移譲には、憲法の制定が必要だ」として、選挙結果を無視した。

スーチー氏を自宅軟禁に処し、NLDへの弾圧を繰り返しながら、長い年月をかけて起草したのが現行の2008年憲法だった。2008年5月、サイクロン・ナルギスの襲来で死者・行方不明者14万人という未曽有の大災害が発生した。その直後に実施された国民投票で承認された憲法である。

軍事政権は、NLDを排除したまま、2010年の総選挙を実施。元軍人たちで構成される連邦団結発展党のテインセイン政権が発足し、2008年憲法による新体制が2011年3月から始まった。その後、NLDは解党の危機に瀕したものの、スーチー氏とテインセイン大統領との間で会談が行なわれ、2012年4月の補欠選挙にNLDが参加。スーチー氏は当選し、連邦議会の議員となった。

その後、2015年の総選挙でNLDが圧勝し、NLD政権が誕生した。スーチー氏は、憲法の規定により、大統領にはなれなかったものの、国家顧問に就任し、政権の実質的指導者となった。

2015年の総選挙での開票作業。各党代表者の立ち会いのもとで行なわれた。(2015年11月8日ヤンゴン・赤津陽治撮影)

◆暗殺されたNLD弁護士「憲法がこのままである限り、民主的な国とは言えない」

国家顧問というポストの新設を考案したのが、NLD法律顧問のコーニー弁護士だった。彼は、憲法改正を推し進める理論的支柱となる人物でもあった。しかし、2017年1月29日にヤンゴン国際空港で銃撃され暗殺された。銃撃犯はすぐに拘束されたが、事件を画策したと見られる人物は国外逃亡し逮捕されていない。

2008年憲法は、立法権・行政権・司法権について国軍に大きな権限を付与している。連邦議会の上院・下院、管区・州議会において、その4分の1の議席を軍人枠として選挙なしで国軍総司令官に任命された現役軍人が占有する。

行政権についても、国防大臣・内務大臣・国境大臣は国軍軍人のポストと定められている。非常時に国の重要事項を決定する国防治安評議会は11名で構成されるが、国軍総司令官、国軍副総司令官、軍人議員選出の副大統領、国防大臣、内務大臣、国境大臣の6名が国軍側であり、国軍の意向で決まる仕組みになっている。

司法権についても、軍人に関わる裁判においては、国軍総司令官の判断が最終判断となるとされている。

コーニー弁護士は2014年1月にシンガポールでの講演で、憲法第4条に「国家主権は、国民に由来し、国全域において効力を有する」とあるが、実際には、一部の特定の集団である国軍が権力を握っており、憲法がこのままである限り、民主的な国であるとは言えないと述べている。