オルテガ大統領と妻のムリージョ副大統領。2019年7月、マナグアで開催された革命40周年式典で。

 

オルテガ独裁政権下のニカラグアでは、2018年以来、政府に抗議する300名以上(600名以上とも)の若者らが命を落としている。表現活動が厳しく規制される現地で、犠牲者の母たちが集まり真相究明を求め続けている。抗議への弾圧のはじまりが2018年4月だったことから、団体は「4月の母の会」と名付けられた。デモに参加する長男を失ったギジェルミナ・サパタさん(66)も団体で活動する一人だ。(文・写真 柴田大輔

<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(1)民衆に怯える「革命の英雄」オルテガ

◆革命は終わり。暴力はもうたくさん

「私の息子がいるのはここです」

ギジェルミナさんはそう言うと、黄緑色の墓石の前で立ち止まり、持参した薄紫色の大きな紫陽花を手向けた。ペットボトルの水をかけ、周囲の伸びた雑草をむしり取る。

ギジェルミナさんの長男フランシスコ・レジェスさんがここに眠っている。2018530日、反政府抗議デモ参加中に治安部隊に頭部を撃たれ亡くなった。30歳だった。

デモで射殺された長男フランシスコ・レジェスさんの遺影を抱くギジェルミナ・サパタさん。
「4月の母の会」で活動する、2021年11月、マナグア。

 

ニカラグアの母の日であるその日、我が子を殺された母たちが呼びかけ「平和の行進」が行われた。女性らに呼応する50万もの人々が首都を埋め尽くし、幹線道路の人波は10キロに及んだと報道された。ニカラグア史上最大規模の抗議活動だったという。

「あの人波の中に私もいたんです」と、ギジェルミナさんが振り返る。朝から衣類販売の仕事に出ていたギジェルミナさんは、早めに仕事を切り上げデモに参加した。

「息子も、私も、お互いそこにいるとは思っていなかったんです。偶然、大きな交差点で息子に会って少しだけ一緒に歩きました。でもいつの間にか人混みに紛れてしまって、私は先に家に戻ったんです」

帰宅したギジェルミナさんは夕飯の支度をし、息子の帰りを待っていた。

「頭を撃たれた息子がバイクで運ばれる映像は、今もインターネットで見ることができます。知らせを聞いて目の前が真っ暗になり、何も考えられなくなりました。夫は当時、警察官でした。その日は勤務中で警察署にいたそうです。『革命は終わり。暴力はもうたくさん』。そう言って彼は警察を辞めました」

2018年5月30日、母の日の行進では、マナグア市内の幹線道路を50万人が埋め尽くした。この日、ニカラグア各地で17人が殺害された。2018年5月30日、マナグアで撮影:オスカル氏。

◆デモ最前線で声を上げる母親たち

ギジェルミナさんがデモに参加したきっかけは、20184月に友人の孫が警察に殺害されたことだった。全国に拡大する抗議の声に対し、政府は、退役軍人による狙撃隊や治安部隊による実弾で応じた。

各地で繰り返される戦場のような映像をテレビやSNSで毎日見た。血を流す若者の姿に理不尽さを感じ、怒りが込み上げた。デモに足を運ぶと、最前線で声を上げる女性たちがいた。子どもや夫を殺害された遺族だった。彼女らの繋がりが「4月の母」という集まりになった。ただ、自分がそこに入るとは思ってもいなかった。

団体はその後、「4月の母の会」として20189月に正式に発足した。犠牲者の母親や親族ら約70人が集まり、デモや国内外への情報発信、政治家への提言などを通じて、政府に対し真相究明を迫っている。また、犠牲者の詳細な記録を、遺品や遺影と共に国内外の施設で展示する活動は、オンライン上でも「記憶の博物館」として続けている。

「4月の母の会」が作った犠牲者をモチーフにしたカレンダー。2020年2月、マナグア。

しかし、彼女らの活動を政府が攻撃する。

20214月、デモ中に殺害された家族を追悼しようとした「4月の母の会」会長のフランシス・バルディビア氏ら、会員3名が警察に拘束された。同年530日には、大規模デモから3年を迎える集会に警察が乱入し、女性を殴打するなど暴力を振るった上、持ち寄られた犠牲者の遺品が押収された。

202111月の大統領選挙を前に、締め付けは一層厳しくなり、「団体として国内での活動はできなくなった」とギジェルミナさんが話す。

「4月の母の会」を支えた支援団体は法人格を剥奪され、代表が拘束されるなどして事実上の閉鎖に追い込まれた。強い危機感から多くの母たちは、隣国のコスタリカなど国外へ避難した。

「私たちは監視されています。でも、国を出ることは考えらない」とギジェルミナさんは言う。住みなれた土地を離れ、縁のない場所で生きていくには経済的、精神的な負担は計り知れないからだ。

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