抗議活動中に治安部隊に狙撃されたニカラグア難民の男性は銃弾の摘出手術痕を見せながら「今も傷が痛み、疲れやすくなったことで長時間働くことが難しい」と話す。コスタリカ・サンホセ市で2019年8月撮影。

 

国連によると、2018年以降、国内の政治暴力から10万8000人以上がニカラグアを離れた。そのうち9万人超が流入したのが隣国のコスタリカだ。2019年、弾圧を逃れたニカラグア難民を首都サンホセに訪ねた。(文・写真 柴田大輔

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◆「家に火をつけられた」

2019年8月、コスタリカの首都サンホセにある人権団体「ニカラグア人権協会(ANPDH)」の事務所を訪ねると、中庭に50人余りのニカラグア人が集まっていた。ANPDHはニカラグアの人権団体で、米国、ホンジュラス、コスタリカにも事務所を構えている

この日は、毎週木曜日に行うニカラグア難民に向けた法律相談の日だった。団体では他に、地元の医師と医学生による無料の医療相談日を設け、医療系国際NGO「国境なき医師団」が医薬品を提供していた。

午前8時、入り口で荷物のチェックを受け中に入ると、来場者を案内する男性がいた。彼は3カ月前にニカラグアから来た避難民だ。

2018年、彼はデモに参加し治安部隊と対峙した。デモが押さえつけられ数カ月が経った頃、何者かが彼の自宅に火をかけた。危機感から家族とコスタリカへ渡り、噂を聞き訪ねたこの団体を通じて難民ビザを取得した。周囲には、メキシコやパナマ、スペインに亡命する人がいた。

コスタリカ・サンホセ市に逃れてきたニカラグア難民一家。母親が市内の食堂で働いて生活をつないでいる。コスタリカ・サンホセ市で2019年8月撮影。

 

彼は仕事のない日にボランティアとして事務所の手伝いに来る。普段は農場や建設現場で短期の仕事につくが、継続した仕事はない。「ニカラグアには戻れない。これからどうやって生きていけばいいかわからない」と経済的な苦しさを吐露する。

相談に来ていた40歳の女性は、2018年6月にニカラグアから家族と逃げてきた。息子がデモに参加したことで、自宅を何者かに荒らされた上に放火された。コスタリカでは仕事を求めて各地を転々とした。農場で果物の収穫などの仕事に就いたが、数日で終わってしまうものがほとんどだった。

「誰を頼っていいかもわからなかった」と振り返る。ビザは取得しておらず、非正規滞在だった。所持金が底を尽きかけたころ、出会ったコスタリカ人が部屋と多少のお金を貸してくれ、ANPDHを紹介された。のちに難民ビザを取得した。

ANPDH事務局長アルバロ・レイバ氏は、自身の逮捕が迫っていることを政権内部で働く友人から知らされ、コスタリカに亡命した。コスタリカ・サンホセ市で2019年8月撮影。

◆難民が直面する経済問題

「経済的な問題に直面する難民が多い」とANPDHの事務局長のアルバロ・レイバ氏が指摘する。ニカラグアの本部事務所が政府の圧力により閉鎖させられ、レイバ氏も2018年7月にコスタリカへ亡命した。

元来、経済的に優位に経つコスタリカへは、ニカラグアから多くの労働者が合法、非合法問わず流入していた。立場の弱さから低賃金で働くニカラグア人労働者は、特に農業や建築業、家事サービスなどの分野で必要とされてきた。彼らに依存する社会構造がコスタリカにあるとされている。

2018年以降、ニカラグア人への偏見と差別が助長されているとレイバ氏が話す。背景には難民の激増と、コスタリカの失業率の悪化があるという。2000年まで5%台で推移していた失業率は、2010年以降9%から10%台へと上昇し、2019年は、1980年以降最悪の12.4%を記録した。

経済悪化に伴い、コスタリカ政府の支援を受ける難民への反感が増し、さらにニカラグア人による犯罪が目につくようになると、差別意識が広がっていった。

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