丸山さんは「二度と日本には帰らないつもりでニカラグアへ来た」と話した。2021年11月、マナグア市で。

 

反革命勢力との激しい内戦が続いた1980年代のニカラグアには、サンディニスタ革命政府を支えようと多くの支援者が国外から集まった。愛知県出身の看護師・丸山ナオミ(74)さんもその一人だ。ニカラグアで35年を過ごした丸山さんは、「革命」のその後に何を思ったのか。急逝する直前の2021年11月、首都マナグアの丸山さんの自宅を訪ねた。(文・写真 柴田大輔

<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(1)民衆に怯える「革命の英雄」オルテガ

◆サンディニスタへの怒り

マナグアの下町に丸山さんの自宅がある。1980年代後半から2000年にかけて「丸山ハウス」、「マンゴー荘」という名で民宿を営み、日本から訪れるジャーナリストや学生、旅行者たちの交流の場となっていた。その後は宿を閉め、空き部屋を地元の人に貸し、ニカラグア人のパートナー、パブロさんと暮らしてきた。

丸山さんの自宅で、庭の古いソファに並んで腰掛けた。最近病気をしたという丸山さんは、小さく細い体を重たそうにしていた。それでもニカラグア政府の話になると、「もう、めちゃくちゃですよ」と大きな身振りで、時折スペイン語を混じえつつ、その声は熱を帯びていった。

「最近までサンディニスタ(政府支持者)の友人が結構いたんです。でも、彼らと大喧嘩して。私は人殺しなんて嫌だから」

政府の弾圧で300人以上が死亡した2018年の反政府デモを振り返ると、丸山さんは大きく目を見開き、「私、じっとしてられなくてデモに参加したの」と捲し立てた。デモでは、治安部隊に殴られ連行される学生を間近で見た。

「本当にたくさんの人が恐怖で国外に逃げていったんです」

一気に話し切ると、ため息をついた。

丸山さんも参加した2018年の反政府デモは、連日全国で行われていた。2018年5月、マナグア市。オスカル氏提供。

◆39歳で内戦下のニカラグアへ

丸山さんは1986年にニカラグアに来た。日本では、地元の名古屋で看護師をしつつ、路上生活者の支援に参加した。クリスチャンとして「貧しい人を助けたい」との思いからだった。

85年頃、ニカラグアで貧しい人々と行動する「解放の神学」を新聞で知った。「社会を変えるのは、これだ」とニカラグアに関心を持った。同時期、名古屋の学生がニカラグア支援を目的に「名古屋ニカラグアに医療品を送る会(現・ニカラグアの会)」を発足させると、丸山さんは会に出入りし、ニカラグア行きのきっかけを待った。そこで出会った人権活動に熱心な学生や神父の後押しもあり、支援物資を現地に届ける役目を引き受けた。39歳だった。

ニカラグアでは小児科病院に勤務した。一年後には「より戦地に近いところへ」と考え、戦闘が続く隣国ホンジュラスとの国境に近い集団農場に住み込み、コーヒー栽培や牧畜に従事した。

近隣でおきる戦闘にも、丸山さんは「怖くはなかった」と言う。それより「『何かしたい』という思いがまさっていた。クリスチャンとして良いことがしたかった」と振り返り、「死ぬのはいつでもできますし」と言い添えた。

丸山さんに30年以上連れそうパブロさんは元革命ゲリラ兵士。「私が最後まで彼女の面倒を見る」と話していた。2021年11月、マナグア市で。

◆ 革命が終わり、人々が去っていった

1980年代、ニカラグアには多くの日本人が訪れた。医療や学術関係者、記者、学生、ボランティア。「革命」が注目されていた証でもある。

丸山さんが営む民宿にも、様々な若者が日本からやってきた。ジャーナリストの藤井満さんは学生時代の88年から89年、一年かけて内戦下のニカラグアを歩いた。その間、何度も「丸山ハウス」を利用した。

個性あふれる人々が行き交うその場所は「誰でも受け入れてくれる『溜まり場』」であり、内戦下の激しい現場から離れ、束の間の休息をとるための「帰ってくる場所」でもあった。人好きで大らかな丸山さんが作り出した空間だ。

当時を振り返ると、丸山さんの声が弾む。集まる若者達は「みんなクレージーだった」として、「ここに来ると、右翼と左翼も仲良しになっちゃってね」と嬉しそうに一人一人を思い出す。しかし、1990年、時代は大きく変わる。選挙でダニエル・オルテガが率いる革命政府が敗北したのだ。

長引く内戦に国民は疲弊していた。20万人の死者と100万人を超える避難民。経済封鎖下でのハイパーインフレ。「国が貧しくなり『オルテガはダメだ』となった」と丸山さんは言う。

革命の終わりと共に、日本からの来訪者はまばらになった。ニカラグアに居住し、熱心に活動していた日本人も国を去った。「あの人たちは、(ニカラグアから)逃げていった」と丸山さんがつぶやいた。

その後、政権についた保守派は腐敗し、2007年にオルテガが大統領に復帰するも、そこにかつての面影はなかった。縁故主義による腐敗と独裁化。その先に起きた2018年の弾圧。

「私はいつからサンディニスタが嫌になったのかな。少なくとも2007年の頃までは、ある程度オルテガを信頼してたんです」。

現地で暮らし続けた丸山さんの言葉に力はない。

ニカラグアで何度か病気を患った。その時に出会ったのがパブロさんだ。「体が弱ったときに、色々助けてくれた」と丸山さんは話す。

帰り際に丸山さんは「次に会うときは、マナグアにはいないかもしれない」と話した。丸山さんはこの時、乳がんを患っていた。お金を心配し、病院に行くのをためらっている間に患部が広がっていた。

「パブロが、二人でゆっくり暮らせるようにって、田舎に家を探してくれてるんです」

そう言って微笑んだ。

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